ロバート・フィリプソン教授の講演「プロフェッショナリズムとTESOLの神話」("Professionalism and myths in TESOL")(2019)

 2019年3月12日~15日に、アメリカ合州国ジョージア州アトランタで開かれたTESOL国際大会・英語エクスポ。その大会でのロバート・フィリプソン(Robert Phillipson)名誉教授の講演。10分17秒ほどの短いものだが、YouTubeで講演を聞いて、これがたいへん興味深かったので、あらましを日本語にしてみた。

www.youtube.com

Dr Robert Phillipson: Professionalism and myths in TESOL - YouTube

 あらまし完成後、本講演のテキストが載っているデンマークCBS(Copenhagen Business School)の「言語権」と名のついた以下のサイトを見つけた。

Dr. Robert Phillipson, Professor Emeritus, Copenhagen Business School, Denmark (linguistic-rights.org)

 初めからこちらをもとにして日本語訳をつくればよかったのだが、後の祭り。いま時間がとれないため精度を上げることは諦め、以下、拙訳になるが、概要を掲載する。概要といっても、正確さは、90%は楽に越える精度にはなっていると思う。

 講演者のロバート・フィリップ(Robert Phillipson)教授は、1992年のその著書「言語帝国主義」(Linguistic Imperialism)で有名。フィリップ教授は、スコットランド出身。イギリスを離れ、多言語主義を実践されている*1。1964年より世界各地で英語教育に携わった後、長年デンマークで活躍されている*2

 「言語帝国主義」というと、一般的にいって日本人には刺激的過ぎるのかもしれないが*3、ロバート・フィリプソン名誉教授の"Linguistic Imperialism"(1992)は、オックスフォード大学出版から出版されている*4。また本講演は、TESOL大会での講演である*5。おそらく基調講演のような位置づけになっているのではないか。つまり、ここから言えることは、「言語帝国主義」は、すでに全ての英語教師にとって、大前提にしないといけない前提になっているのだということだ*6

 講演を聞いて、日本人には刺激的に聞こえる「言語帝国主義*7を題名に使った著書の著者ではあるけれど、ロバート・フィリップ教授は学問に真摯に向き合う人格とお見受けした。プロパガンダ的なところは微塵も感じられない落ち着いた講演だ。日本の英語教師*8のみならず、多くの日本人にフィリプソン教授のお話に耳を傾けてもらいたいと思う。

 

プロフェッショナリズムとTESOLの神話

 もしTESOLが適切に機能するのであれば、用いられる学術用語や英語を“グローバル(世界)”語とする主張、そして一般に神話と考えられるものから導かれる帰結の数々を注意深く吟味しなければなりません。

 神話の第1は、“インターナショナル”スクール・“インターナショナル”大学という神話です。
 非英語国の国々の都市で“インターナショナル”スクール(”International” schools)というものが雨後の筍のように増加しています。中東やアジアでは関連して英語を介して教育がおこなわれるインターナショナル大学(“international” universities)が増加しているけれど、なぜ教育内容がアメリカ合州国かイギリスからの直輸入のもので、教育する際の言語手段として英語という最も有力な民族語(national language)を使っているのに、これらふたつのタイプの教育機関が“インターナショナル”と呼ばれるのか、わかりません。そこでは、たいてい英語しか知らない単一母語話者の教師(monolingual teachers)や教授が教えています。私見では、“インターナショナル”とは、勘違いの名前(misnomer)ではないでしょうか。
 結論的にいえば、こうしたビジネスの輸出は、国内的・国際的に、エリート階層の利益に寄与するものとなります。数々の現地言語は支援などほぼ得られません。インターナショナルスクールは、アメリカ合州国やイギリスの高等教育機関に進学させることを準備し、卒業生を自分の生まれ育ったところの地域問題から切り離させて地域課題に関する関心を薄いものにしてくれます。

 神話の第2は、英語はグローバルに必要とされているという神話です。
 英語は、グローバルに必要だというように演出され、アメリカ合州国のすべての者に英語を("English for all")というオバマ政権のプロジェクトとしての政策や半官半民のブリティッシュカウンシルによって市場化されています。言語政策の助言者は、インドでは、すべての教室・家庭・会社で使われるべきだと力説しています。
 その結果、こうした提唱は、本来守るべき、その場所のローカル経済やエコロジー、文化、多様な言語などを無視することになります。英米の経済を後押しする助けとなり、英米支援の傾向を進めることになっています。この神話は、特権的でない世界の人たちの本当の要求を遠ざけてしまいます。

 神話の第3は、ローカルの地元の発展のためにこそブリティッシュ英語が役に立ち必要であるという神話です。
 援助や発展のためのビジネスという考え方は、すでに半世紀前に、アメリカ合州国による南米支援援助ビジネスにかかわって、イヴァン・イリイチ(Ivan Illich)によって糾弾されたものです。しかし相変わらず、ブリティッシュカウンシルや世界の諸機関は、教育一般、とりわけ英語学習は、経済的・社会的に、ローカルの発展のためになると市場化を続け、イギリスはローカルの要求を実現できるとのおこがましい仮説を持ち続けました。
 その結果は、植民地主義の開発途上の時代から新植民地主義の時代となり、構造的に、地球規模でみた「南」から搾取し犠牲にして地球規模からみた「北」にひいきしたと言えます。

 神話の第4は、アングロアメリカの教科書は世界的に適切であるという神話。
 “グローバル”出版社といわれるピアソン、マクミラン、ラウトレッジ、オックスフォード大学出版などの教材は、世界の学校制度にふさわしい言語と内容になっているとされています。
 教師のグループや出版物、デジタル教材は、オーストラリア、アフリカ、インドやインターナショナル学校で、強固な立場にあり、評判を上げて、実際に、世界の教育、教育指導法と学習法の研究、政府に助言をして制度改革に役立っていると、ケンブリッジ大学出版の年次報告書(2018年度)は述べています。
 その結果は、この神話が、文化的・言語的・商業的に、新しいかたちでの帝国主義的従属をつくりだし、強固なものとし、それが法人や株主の、そしてイギリスとアメリカ合州国の学界の利益につながりました。地元の出版社や地元の学界の発展に役立っているとはいえません。

 神話の第5は、国際情勢(international affairs)を語るには英語だけという神話です。
 英語は、科学・ビジネス・グローバリゼーション・欧州統合(European integration)・アジア統合(Asian integration)・多言語社会における国語一本化・国際理解等のためのリンガ・フランカ(lingua franca)であると宣言されています。詐欺ともいうべきこの神話は、他の言語ではこの目的に供せないということを含意しています。
 その結果として、教育にはなんとしても英語なのだということになります。ヨーロッパ・アジア・ラテンアメリカなどの他の外国語を学ぶことは停滞させることになります。英語の習熟度は、他の言語話者を犠牲にして、国際的なコミュニケーションは英語という不公平なヒエラルキーを定着させます。

 神話の第6は、すべて適切な学識は英語で書かれているという神話です。
 英語の出版物の普及によってこの神話に至っています。主要学術出版社の考え方が英語で出版されたものしか相手にしないという考えを強めています。実際は、研究は世界的に膨大にあり、いろいろな言語で書かれています。ケンブリッジ大学によるグーグル学術論文の最近の分析によると、ある分野では65%が英語で書かれていたという調査があります。言語教育や言語政策を含め大部分の論文の分野においては、さまざまな言語で書かれています。
 結果的に、他言語で書かれた知識は、英語という単一言語による科学の犠牲となり、疎外(marginalized)されていると言えます。研究論文の数を計り、そのランキング制度が、不公平なことに、言語使用者間の不平等に拍車をかけています。

 神話の第7は、“グローバル”ラングエッジテストは世界的に客観的で有効であるという神話です。
 アメリカ合州国から発出したテスト道具であるTOEFL、そしてイギリス・オーストラリア発出のIELTSは、文化的に中立で世界的に適切なものとして企画されていますが、科学的にモラル的にみて、うさん臭い主張です。
 結論的にいえば、テストはビッグビジネスです。ただし限界があります。多くのテストを実施する人たちは、正確に言って、正確ではないと感じています。正確なよりよい評価をおこなう必要性と健全な財政運営と順調なビジネスとの間には根本的な矛盾があります。これがTESOLのさまざまな倫理的問題を生起します。

 神話の第8、TESOLの国際化と英語指導は政治に無関心である(apolitical)ということです。
 TESOLが数年前にそうなったように、ひとつの国の専門協会が国際化するときに、プロフェッショナリズムがグローバルに適切になって、教育的・文化的・言語的帝国主義から離れるという神話です。さまざまな活動が帝国主義的か否か。そこが分析され、経験的に実証される必要があります。
 ひとつ例をあげるならば、イギリスのELTジャーナルが、世界で英語がどのように教えられ学ばれているかについて触れています。7人の会議の部局がジャーナルを導いています。3人は学術関係者。2人は出版関係者(オックスフォード大学出版)。1人はブリティッシュカウンシルの人間。1人はイギリス専門協会(IATEFL)*9の人間。こうした人たちの能力を疑うわけではありませんが、その構成は、学術関係、商用関係、政治的利益のための混ぜ物(cocktail)です。これは学問の自由と矛盾なく一致しているのでしょうか。
 他の学者の手助けをもらって短めの結論を述べます。
 これら8つの神話は、幾分無効とわかっているものもありますが、すべて生き残っていて影響があります。
 パキスタン出身の学者・アフマ・マブー(Ahmar Mahboob)は、「応用言語学とTESOLの文献においてカギとなっている仮説を徹底して見直す必要がある」と述べています。
 フィリピン出身、現在はシンガポール在住の学者・ルアニ・トゥパス(Ruanni Tupas)は、「現地には多言語が存在しているという現実があるにもかかわらず、統合せずに、英語で教育することに排他的に焦点をあてすぎれば、失敗することになります」。
 メリー・シェパード・ウォン(Mary Shepard Won)、アイシー・リー(Icy Lee)、アンディ・ガオ(Andy Gao)は、「香港では、広東語・北京語・英語という3言語があって教育がなされているのに、単一言語でのアプローチは不適切である。なぜなら、単一言語母語話者(monolingual native speakers)では限界を抱えているからです、言語的に、教育方法的に、専門的に」。
 ブリティッシュカウンシルの助言者であったジョン・ナーグ(John Knagg)は、「ネイティブの英語教師(Native English Speaking Teachers/NESTs)は、「これからはますます、多言語で、多文化で、専門家でなければならない」。しかしながら、このコメントが載っているこの本が示しているように、ネイティブスピーカーの英語教師たちは、一般的に、こうした資格に欠けている。なぜいまだにこうした人たちが世界中で活躍しているのだろうか。ナーグ氏は、「グローバルなELTという職業」として、ブリティッシュ英語という「適切な言語モデル」を入れ込むことはイギリスの利益を世界的に促進するという目的にかなっていることを認めざるをえないということによって答えの一部を提供してくれている」。
 アメリカ合州国によるアメリカ英語の世界的促進もこれと同じ目標をもっていると言えます。これが英語のグローバリゼーションということでしょうか。これらの神話を私たちは信じたいのでしょうか。倫理的に、そして専門家として、これらの帰結は容認できるものなのでしょうか。

*1:フィリップ教授は、フランス語・ドイツ語・スウェーデン語・デンマーク語・英語の5言語で生活しているという。

*2:Robert Phillipson | CBS - Copenhagen Business School

*3:個人的に「言語帝国主義」という語句をはじめて聞いたのは、「言語帝国主義」と題した論稿(本多勝一「殺される側の論理」(1971年)所収)だった。言論界でこれが初出かどうかは調べてないが、初期のものであることに違いはないだろう。本多氏の論稿「日本語と方言の復権のために」(本多勝一「日本語の作文技術」1976年所収)は、「言語帝国主義」に関する深い洞察にもとづく問題提起でもあった。また国際主義的人格の形成の課題、帝国主義と外国語教育、さらに国際連帯と外国語教育の改革について洞察深く論じ問題提起している論稿に「国際連帯と外国語教育の改革」(芝田進午「教育労働の理論」1975年所収)がある。「言語帝国主義」に関しては、 その後、田中克彦氏、中村敬氏らの著作に学んだ。「言語帝国主義」に関する書籍はその後もいくつか出版されている。

*4:ロバート・フィリプソン教授の研究は、みずからの実践、そしてTESOLやELTの実践者・研究者、東西アフリカ・パキスタン・インド等世界の学者ら、そしてパートナーであり言語学者・共同研究者でもあるトーヴェ・ストクナブ・カンガス(Tove Skutnabb-Kangas)さんとの討論・交流によって得た成果と聞いている。

*5:ロバート・フィリプソン名誉教授の今回の講演内容は、TESOL、つまり、母語話者でない学習者に英語教育(English Language Teaching)をおこなう場合の注意事項満載の講演になっている。つまり、TESOL大会でTESOLについて批判的視点を展開している。大前提の前提と書いたが、英語問題という課題にたいする問題提起をおこなっているわけだから、課題として解決したわけではない。けれども、英語教育を考える際に、「言語帝国主義」の視点を無視することはできない。その意味で、大前提の前提と書いた。TESOL側は許容範囲が広く太っ腹ともいえるが、氏の「言語帝国主義」の謝辞を読むと、その関係性は少なくとも敵対的ではないようだ。皮肉的にいえば「言語帝国主義」という指摘などびくともしないということもあるのかもしれない。また意地悪くいえば「言語帝国主義」など織り込み済みで英語教育を展開するまでと考えている英語教師もいるのかもしれない。ただフィリプソン教授は自分の論稿の発表について検閲を受けたと発言している動画があるので、それほど簡単なことではないようだ。いずれにしても、わが祖国・日本はどうかといえば、日本はまだこうした批判的視点すら持てていないと言える。

*6:教育活動において学習者の人格を傷つけてはならない。そもそもこれは教育における常識だ。それが英語教育となれば、言語帝国主義的状況があり、教師と生徒間に学力差もある。英語教育・英語学習において、学習者に言語帝国主義的なものを、たとえば差別意識を感じさせてはならないのは、今日的常識なのだろう。「なんちゃって語学留学」で紹介したYouTuberたちはおそらく「言語帝国主義」を大前提の前提として学んでいるのだろう。推薦した教師たちは、大昔の、単一言語の母語話者で、言語差別的なところは全く感じられない。

*7:最近読んだもので、「言語帝国主義」という用語を見聞きしたのは、斎藤兆史氏の著作。「ただし、私たち日本人にとって英語が外国語である以上、それを勉強する過程でいろいろな矛盾や疑問に突き当たります。英語圏の人たちは外国語学習で苦労することがないのに、なぜ私たちだけがこんなに一生懸命英語を勉強しなければならないのか。自分の英語学習は、英語帝国主義を助長してはいないか。必死に勉強して並の母語話者程度の英語力を身につけるより、日本語を深めたほうがより価値のある仕事ができるのではないか。これらは、本気で英語を学ぼうとする日本人が宿命的に出会う難問です。
 このような矛盾や疑問を一刀のもとに断ち切るような妙案は、残念ながら、いまのところどこにも見当たりません。みなさんが英語学習を深めていくなかで、それぞれに答えを探してください。勉強をすればするほど、いろいろな問題に苦しめられることになりますが、その苦しみをはるかにしのぐ学びの喜びがあることを覚えておいてください。」(「これが正しい!英語学習法」斎藤兆史p.134-135ちくまプリマ―新書)2007年。

 他に、平田雅博「英語の帝国」(2016年)にはロバート・フィリップ教授の引用がされている。

*8:1992年夏にサンタフェ美術館を訪れたことがある。そのとき「7人の悪魔」という作品を見たことがある。宣教師・占い師・ビジネスマン・悪魔と、順に横顔が描かれている。絵の下には、それぞれのデビル(悪魔)の靴が置いてあり、その靴がひとつひとつ血塗られていた。先住アメリカ民族がそうした順に迫害を受けてきたと言うメッセージだ。私見になるが、英語教師もそうした線上でとらえないといけない性格があると自覚すべきではないだろうか。

*9:iatefl.org | Linking, developing and supporting English Language Teaching professionals worldwide

英語学習の技術と思想 -超大言語を学ぶときの留意点ー

 日本社会は単一民族で単一言語などと考えているわけでは全くないが、相対的に世界をみるならば、日本の言語環境*1は、アジアの外国語は別にしてヨーロッパの外国語を学ぶ上で条件が整っている言語環境とは言い難い。もちろんそれが不幸せだとか不便だとか言っているわけではない(逆かもしれない)。つまり価値判断ではない。しかし、日本の秘境的言語環境*2は、日本の外国語教育を考える際の重要なポイントのひとつであることは間違いない。うまい例えではないが、雪山のないフィールドに住んでいるのになんとかスキーをマスターしようとするような距離感と抽象度と徒労感とがある。
 英語という外国語を学ぶ上で、日本の言語環境には、リスニング・スピーキングという言語活動が言語環境として整っていない。だから留学でもして現地に行かない限り、日本で外国語を学ぼうとすれば、不自然にであっても、疑似的にであっても、言語環境を持ち込まないとならない。それがインターネットの時代にあって少し持ち込みやすくなったということなのだろう*3
 技術的なことに限ってだが、コトバの学びとして、YouTubeで「なんちゃって語学留学」と書いた*4のはそういう意味だ。また不自然で人工的な学習環境としてではあるが、シャドーイングのセットアップについても紹介した*5が、技術面だけに限って書くことは、自分の問題意識からしてみると、きわめて居心地が悪い。
 それは、コトバにおける思想の問題を捨象しているからである。
 私大付属高の英語教師を長年やってきたけれど、英語を学ぶのが当たり前という風潮にも居心地の悪さを感じていた。
 そうした認識は、同じくコトバをめぐる思想の問題を無視・軽視しているからである。
 かけだし英語教師時代、校費でサンフランシスコにて英語集中講座を受けたことがあった。以来、英語教師としての力量が足りないと痛感した私は、夏休みになると、なるべく海外体験をすべく自費で出かけた。合州国タオス・プエブロアイルランドシンガポール。ハワイ島。再度留学の機会を職場から与えられアオテアロアニュージーランド*6では、英語以外に、モノにならなかったけれどマオリ語も学んだ。
 タオス・プエブロなどのネイティブアメリカンは先住民であり、自分の文化も言語もあるにもかかわらず、英語で“文明化”された。アイルランドも、アイルランドゲール語があるにもかかわらず、イングランドに支配され、英語化された。アオテアロアニュージーランドにおいても、土地戦争があり、マオリ語では経済的に生きていけないと英語を学ぶことが推奨された。ハワイやシンガポールもしかり。そもそもイングランド語というブリテン島の一言語が今日世界的規模で広がっているのは平和に広がっていったわけではない。当然、押しつけられた側は、自らのアイデンティティを求めて、自分の言語を復活させたり、守り維持したり、公用語化運動を起こして実現させたのも当然のことだ。現在の日本語と英語の関係も、こうした文脈でとらえる必要がある。日本の英語教育の未来を考える際にも参考にすべきことがたくさんある。
 広くいえば、言語教育となるのだが、外国語教育は、母語教育との関連で考えないといけないし、母語主義という言語権*7を不可欠なものとして意識しなければならない。これらは、政治がどのように文化を保護するかという政策的課題はありながらも、政治ではなく、教育・文化的にとらえる方法論といえる。政治的にみれば、進歩とはなにか、文明とはなにか、グローバリズムとは何か、生徒に考えてもらいたいし、支配・被支配関係の中で自然発生してしまう優越意識や差別意識を考えさせ、対等・平等をめざす理想を視野に入れさせたいと思う。
 外国語教育・外国語学習は、中立的なものではない。外国語の学びは、食うか食われるか。文化闘争の側面が避けられないのである。
 明治期の終わりに、夏目漱石は、日本人の英語力の低下について、日本の教育が発達した結果であって当然のことだと。というのも教科を外国語で学ばざるをえない時代を経てきたから(それ以前は答案すら英語で書いていた)。これは独立国家としては「一種の屈辱」だと。「学問は普遍的なものだから…日本人の頭と日本の言語で教へられぬと云ふ筈はない」と喝破した(「漱石全集 第16巻」)。
 今日、外国語教育とうたっているにもかかわらず、その外国語とは何を指すかといえば英語だと、英語主義が跋扈している状況がある。
 しかし、その一方で、政治的でなく、文化的に考えるなら、今日の世界は、多言語主義・多文化主義ではないのか。
 世界には、たくさんの言語があるが、個人としてみれば、母語が大切であることは間違いない。もちろん文化的にも寄って立つ言語が大切であるのは間違いないのだが、不公平なことに、政治的には言語間には格差があり、いわば階層化が存在している。中国語などを入れた大言語の中でも、英語は飛びぬけた超大言語だ。同じ英語の中でも、大英連邦の中においても、またブリテン島の中においても、さまざまなアクセント(訛り)があり、イギリス英語とアメリカ英語が最上階に位置しているということになるのだろう。
 ところで、外国語というものは簡単には身につかない。英語と日本語のようにタイプの違う言語は、とくに時間がかかる*8。これは学んだ英語の成果より苦労した経験自体の体験のほうが人文的に役に立つのかもしれないと思えるほどだ。そうした状況下にあって、アウトプットとしての英語モデルも、われわれは何を英語モデルとし、どのような英語を目標とすべきかもあいまいだ*9。さらに自動翻訳機などの発展により文化的に、教育的に、どのような力を生徒に身につけさせるのか、あらためて考え直さなくてはいけない。
 さて、ここでひとつの問いがある。

 日本の教育は、教育の論理で考えられてきたのだろうか。日本の教育が、経済界や政治に牛耳られてきた歴史と傾向はないのだろうか*10
 「英語社会学」を提唱されている中村敬氏*11は、「英語がもっている問題点をもっぱら言語内の問題として論ずるのは不十分」だと、英語問題を克服するために、全員対象の英語教育を止めるべきという「対抗理論」と、大言語のもっている力(大言語性や侵略性)を自己流の英語で削ぎ無力化させる「空洞化理論」を提唱され、たとえば「自分で英語を使って、なおかつ自己流であってもそれを使うことによって、母語者の言説を乗り越える、あるいは口頭で説明できる、そこまでいかないといけない」と主張されている。
 私自身、長年英語の教師をやってきて、負の側面が強いと感じてきたいわゆる英会話イデオロギー*12や、英語をやるのが当たり前という思考停止状況の英語主義論に加担することなく、英語を学ぶことを通じて文化の深層に触れる正の側面の方向をめざそうと心がけてきた。教育は教育の論理で、思想性や文学性のゆたかな教材を、民主的でヒューマニスティックな思想や文学作品を選ぶことを心がけてきたつもりだ。
 英米英米と騒ぐわりに、われわれは、どれほど英米を理解しているのか。思考停止状態での拝外主義に陥っていないか。もちろん、排外主義になってもいけない。拝外主義と排外主義、いずれのハイガイ主義にも組みせず、対等・平等な関係をめざす。これが文化的・教育的立場と考えてきた。
 これからの市民に外国語のひとつくらいは具体的なものとしてマスターしてもらいたいと考えるのであれば、ライフワークの視野で考えなければならないほど長時間かかる外国語学習には、せめて当事者にその選択をさせるべきだ。
 英語教育・英語学習を、外国語(EFL)として、また第二言語(ESL)として考えた場合、言語環境を補うための視聴覚環境、メディアセンターを備えた図書館のようなものが必要だろう。日本は、もっと教育費を充実させて、教師の研修と教育環境を充実すべきであろう。
 さて、小学校・中学校・高校・大学・大学院と、英語教育の体系を考えるべきだが、小学校では、より母語に集中すべきだろう。中学より外国語教育を始め、多言語主義・多文化主義でいくために、英語に限らず、生徒に選択させることが適切と考える*13。他の外国語の場合も同様だが、カリキュラム化については国民的論議が必要なことは言うまでもない。

 まとめてみる。

 理想の英語教育においては技術と思想をかねそなえて教えるべきとずっと考えてきた。

 英語学習の技術とは、言語学習としての文法習得と言語活動の導入。言語活動では、聞く、話す、読む、書くの4技能の基礎を習得させたい。言語活動の習得は簡単ではないが、リスニング・リーディングにおいてSVという「語順の征服」をはたし、リーディングにおける「理解のともなう音読」の練習と修得後に、スピーキング・ライティングにおける自己表現へと発展させたい。「なんちゃって語学留学」とシャドーイングについては前回紹介したとおりである。

 さて、英語学習の思想とは何か。

 「思想なんて必要ない」「ただマスターするだけ」と言われるかもしれない。

 わたしの考える思想とは、なにか特別なものではなく、「かけがえのない母語」という母語主義の思想。言語と民族をめぐる抑圧と差別に反対し、対等・平等を求める思想。大言語を学ぶ際の注意として、民族的誇りを傷つけられたり、主体性を奪われてはならないという思想。地球時代(核時代)に生きる私たちが多民族と連帯し豊かな人格として成長するために簡単なコトバで深い内容(思想)*14を表現したいということを含んでいる。教育を考える上で、当たり前で基本的なことと考えている。あくまでも学校の英語教育が目的とすべきは、人間教育の一環、リベラル・アーツであるべきと考えているからだ。

 英語シャドーイングや英語スピーキング練習は、国民全員がやるべき課題なのか、とりわけ国民全員が母語話者の水準をめざすべきなのか(当然不可能)と問われれば、私見では、選択的・限定的に考えている。

 誤解されては困るので、以上、書き記した。

*1:シンガポールのように、英語は母語ではないのだが、学校教育や自治体、メディアやコミュニケーションで広く英語が使われている国々のことを、伝統的にESL(English as a second language)の国という。日本のように、英語が、学校教育や自治体、メディアやコミュニケーションで使われてはいないが、学校で英語を学んでいる国のことを、EFL(English as a foreign language)の国という。学外で英語にさらされる機会に違いのあるESLとEFLの国々では、英語の必要性も違っており、英語の指導法に違いがあるのは当然のことである。以上が大前提である。

*2:日本では、外国語学習に実際に格闘したことのない人が、これからの日本人は外国語ができないとだめだと安易に小学校への英語教科導入に賛成したりする。これは危険だ。なぜか。日本人は外国語を話せるようになるということが一体全体どういうことなのか、自分には手がかりがなく、想像もつかないから、たとえば英語の功罪について鈍感にならざるをえない。そうした中で言語政策が決定され進行していくリスクはどう考えたらよいのか。母語の重要性はマオリから、イギリス語を使いこなす姿勢はシンガポールから学べ - amamuの日記 (hatenablog.com)

*3:ツイッター社がイーロン・マスク氏によって買収され半数近い社員が解雇されたというニュースが最近かけめぐった。インターネットの民主主義を信頼し幻想を持ちすぎることはよくない。批判的にみる視点が必要に思う。

*4:YouTubeで安全・安心・安価に「 なんちゃって語学留学」 ーそのオンライン英語学習時間割を空想してみたー - amamuの日記 (hatenablog.com)

*5:英語シャドーイングが楽しめるPCのセッティング ーヘッドフォンとイアフォン・マイクを使ってー - amamuの日記 (hatenablog.com)

*6:ニュージーランドの呼称については、アオテアロア・ニュージーランドと母語の重要性 - amamuの日記 (hatenablog.com)

*7:母語を話す権利 - amamuの日記 (hatenablog.com)

*8:「今後は英語の勉強に“びた一文”かけない」 自動翻訳研究の第一人者が語る最新の「翻訳力」(1/3)〈dot.〉 | AERA dot. (アエラドット) (asahi.com)

*9:英語を話すことを目標にする場合、少なくともその英語のモデルをどのように設定すべきか、モデル設定の問題がある。古くは小田実氏が提唱されたイングラント(1961)、鈴木孝夫氏のイングリック(1971)、渡辺武達氏のジャパリッシュ(1983)など提唱されてきた。「民際英語」というのもある。池内尚郎氏の「民際英語でいこう」を面白く読んだ - amamuの日記 (hatenablog.com)

*10:一例に過ぎないが、都立高校の入試に瑕疵の多いスピーキングテストを導入しようとしているのは、教育を、教育の理念ではなく、一企業の利権や政治がらみでしか考えていない証左のひとつであろう。

*11:「迷走する英語教育をただす -中村敬の理論・思想・実践をもとに」を読んだ - amamuの日記 (hatenablog.com)

*12:たとえば、すでに古典ともいえるダグラス・ラミス氏の「イデオロギーとしての英会話」を参照のこと。

*13:戦略をもって多種多様な外国語教育を - amamuの日記 (hatenablog.com)

*14:気候変動、環境問題や平和やLGBTQなどの問題について。

英語シャドーイングが楽しめるPCのセッティング ーヘッドフォンとイアフォン・マイクを使ってー

 外国語を学ぶ際に、リスニングとリーディングがインプットであるとすれば、スピーキングとライティングはアウトプットといえる。

 歴史的に、日本の言語環境では、インプットとしての英語リーディングが大切であった。歴史的に、英学にとっては英語リスニングも重要であった。それは今日的にも、英語メディアが拡大してくるにつれて、英語リーディングと同様、重要になってきている。とくに最近の国内メディアの偏りを正すには海外英語メディアにアクセスできる英語リスニング力はこれからの市民として必要な力になっている。

 日本文化発信として英語ライティングは重要であった。今日なお学問研究者にとっては英語ライティングが重要であるが、研究論文発表数などを考えるならば、アジアの中でも英語ライティングには課題がありそうだ。SNSの登場など、インターネットの時代にあって、英語ライティングの必要性が広がっているが、こちらも同じく課題がありそうだ。ツイッターなどSNSでの日本からの英語自己表現は極端に少ないという。

 英作文より英借文といわれるように、インターネット時代に、電子化された大きなデータが検索できる状況にあってはコーパス言語学的な検索能力が重要になってくるだろう。

 さて日本人で英語スピーキングが優先課題なのか、はたして最大課題なのかというと、日本の言語環境から、英語スピーキングが必要ないと考える者と、訛りがあっても何とかコミュニケーションがとれる程度に英語スピーキングが必要と考える者と、母語話者なみの英語スピーキング力が必要で望む者と、おそらく三つくらいに分かれるだろう。これは、学ぶのであれば英語よりは他の外国語を学びたいという者を含んでの話である。全日本人にどれくらいの英語スピーキング力をつけるべきかという教育課題は現実的な課題として考えないといけない。

 少なくとも、母語を大切にする母語主義という言語権が守られなければならない。主体性や自尊心が傷つけられてはならない*1

 繰り返すが、国民教育としての英語教育において英語スピーキングの力をどの程度育てるべきか。以上のことから、日本の英語教育の体系を考える必要があると思うが、その構想は明確になっているとはいえない*2

 一方、母語話者なみの英語スピーキング力をつけたいと思う者への教育環境はどうか。

 たとえば、自分の大学時代の狭い経験から考えてみても、自分は「文学部英文科」ではあったが、L.L.(Language Laboratory)というのがあってこれが必修になっていたけれど、その内容は、おそらく戦後のMichigan Methodの流れで導入されたものだと思うが、すでに時代遅れのものだった。そもそも「文学部英文科」の学生は、英文学の学習を望んでいるのか、母語話者なみの英語スピーキング力を望んでいるのか、それともどちらもなのか、明確になっていない問題があるが、総合的な英語力として英語スピーキング力を望まない英文科の学生というのもいないと思われる。問題は、限られた時間の中で、いかにバランスをとってカリキュラム化するかということだ。

 スキーをやるには雪山という環境が必要。雪山という環境なしにスキーがうまくなることはありえない。日本の言語環境は、英語は必要ないから、アウトプットは必要ない。したがって、英語のアウトプットがうまくなることはない。明治・大正・昭和の英語学習者がリーディングを重視したのも当然と思う。

 さて、それでも今日、日本でスピーキングを鍛えたいと思えばどうしたらよいのか。

 アウトプットの練習のためにはシャドーイングがよいとは感じていたが、それではその実践となると、シャドーイングすべき素材が少なく、シャドーイングに意欲がもてなかった。環境のせいばかりにはできないのだが、それでも環境整備が弱い状況が、ヴァーチャルの世界に限っての話ではあるのだが、インターネット環境が出現し、その分、日本の言語環境も変わってきていて、YouTubeなど、シャドーイングしたい素材が環境として安価に楽に手に入るようになった。これは大きな変化といえる。

 さてシャドーイングする素材をインターネットで探して、PCを介さずとも、シャドーイングすればよいのだが、PCを介したほうが集中できるという話があり、シャドーイングを楽しむPCのセッティングはどうしたものかと考えていたときに、シャドーイングを活用して日本語をマスターしたmatt vs japanをたまたま見て驚いた。マットさんの日本語がすばらしかったからだ。やはりシャドーイングかと、たいへん参考になった。

www.bing.com

Matt vs Japan's Ideal Shadowing Setup - How to Shadow - Bing video

 この動画によれば、シャドーイングのセットアップで必要なものは、以下の備品が必要になるという。

(1) normal audio headphone (ミニプラグのイアフォン)

(2) Blue Yeti microphone (ミニプラグ出力つきのUSBマイクロフォン)

(3) noise canceling headphone (ノイズキャンセリングヘッドフォン)

 もちろん、PCと、録音用ソフトとして、OBS Studioなどのソフトが必要だが…。

 (1)のイアフォンは、よくあるタイプのミニプラグのイアフォンで何でも構わない。ノイズキャンセリングヘッドフォンも何でもよいのだが、マットさんはBoseのものを使っているようだ。結果的に私も同じものを選んだ(ワイヤレスヘッドフォンのBose QuietComfort 35 II を購入した - amamuの日記 (hatenablog.com))。マットさんが言っているように、ノイズキャンセリングヘッドフォンなら何でもよいのだが、重要なポイントは、長時間使っても疲れないということだろう。

 マットさんも言っているように、ノイズキャンセリングヘッドフォンもUSBマイクロフォン*3も安いものではない。それでも、使い続ければ、元が取れると思う。とにかく長時間使っても疲れないということがヘッドフォンを選ぶポイントになる。

 さて以上の備品がそろったら…。

(1)ノイズキャンセリングヘッドフォンをbluetoothで無線でPCにつないで、PCのサウンドノイズキャンセリングヘッドフォンで聞けるようにする

(2)ミニプラグ出力つきのUSBマイクロフォンをPCに差し込んでつないでマイクを使えるようにする

(3)USBマイクロフォンのミニプラグにイアフォンをつないで、イアフォンの左右のイアピースのいずれかを、すでに耳を覆っているノイズキャンセリングヘッドフォンの中の左右のいずれかの耳に入れる

 以上で、以下のふたつの音声を同時に聞くことができる環境ができる。PCの音量も、マイクの音量も、上記の機種であれば、それぞれいずれも調整可能な環境だ。

(1)ノイズキャンセリングヘッドフォンでPCのモデル音声を聞く(モデル音声) 

(2)イアフォンを入れた片方の耳で自分の声を聞く(自分の音声)

 なぜこうしたセットアップを採用するのかといえば、マットさん流の説明では、自分の音声を「主観的に」でなく「客観的に」聞くことができる環境をつくることができ、さらに、モデル音声と自分の音声にタイムラグが起こらない環境をつくることができるからだ。

 以上のセットアップが整えば、モデル音声と自分の音声を左右の違うトラックで同時録音できれば、復習も可能となる。YouTuberのマットさんは録音機器にOBS Studioを使っているが、OBS Studioについては勉強中なので割愛せざるをえない。とりあえず以上でPCを使ってのシャドーイング環境のセットアップが可能となる。

 英語スピーキング練習上、以上のシャドーイングが楽しめる環境の利点は…

 (1)PCであるためYouTubeなどInternet上のソースが厖大に使えるようになること

 (2)アウトプットに集中できる環境が得られること

 (3)モニターの重要性がわかり、スピーキングの重要性がわかること

 本格的なカラオケとはいえないけれど、PCに好きな洋楽を取り込んでいれば、カラオケ的に歌って楽しむこともできる。

 では何をモデル音声に使うか、インターネット上のソースで、一例を考えてみたい。

 たとえば、高校生には、例えば、会話のフレーズを教えてくれるリスニング | アメリカ人が子供の時に覚える英語116フレーズ【185】 - YouTubeなどは、シャドーイングの素材になりうるだろう。また例えば、YouTube上のリーディング教材を見聞きしながら、シャドーイングすることもできるだろう。音声だけでなくサブタイトルのテキストがついていればさらにわかりやすい。慣れてくれば、サブタイトルを見ずに、眼をつぶってモデル音声だけ聞いてシャドーイングするというのもよいだろう。もちろんCDなどからPCに取り込んだ教科書準拠の音声教材をつかってシャドーイングすれば、教科書のレッスンを身体化して学ぶことができる。学校の試験対策も完璧だ。

 また英語教師におすすめなのは、たとえば、リーディングなら、ルークさんのゆったりしたスピードの音読でサブタイトルもついているYouTube 724. The Mountain (Short Story for learners of English) - Bing video - Bing videoシャドーイングはどうだろう。またTESOLのオンライン英語教師(online English teachers)の授業(たとえばフォネティックスの授業でBASIC Phonetics | Understanding The International Phonetic Alphabet - YouTube)を使って発音の練習をする。あるいは、TESOLのオンライン英語教師(online English teachers)の授業(例えば、よくある「余暇の過ごし方」のような30 Phrases to Talk about your Free Time in English - YouTube🤔PRESENT PERFECT or PAST SIMPLE? Learn The Difference and Avoid This Mistake! - Bing videoをモデル音声にして、(速いものであれば部分的であっても)シャドーイングすれば、英語文法学習のポイントも復習できるし、自分の音声や発音の矯正にもなって、一挙両得という使い方もできるだろう。また、たとえば Level Up Your Vocabulary: Advanced English Lesson - Bing videoシャドーイングするなら、熟語の言い回しも学べる。

 スピーキング環境に恵まれない日本の言語環境では、シャドーイングはかなり役立つ練習方法である。

 シャドーイングが効果的なことは明らかで、あとはどれほど時間と労力をかけるかということと、そこまでやる必要が一人ひとりにあるのかという、必要性や動機の問題になる。

 以上、英語学習について述べたが、他の外国語学習においても同じことが言えるだろう。

*1:たとえば、中村敬氏は、その著書「なぜ、「英語」が問題なのか? 英語の政治・社会論」の中で、「未知の外国語を習得するためにはモデルを必要とする。それは避けては通れない。その外国語をものにしようとすればそのモデルに限りなく近付く努力を強いられる。モデルに限りなく近付く努力をした結果、モデルにとり込まれればその瞬間からその人はその言語の二級の市民になる。妙に”英語風”を吹かす国籍不明の人種がこれに当たる。

 一方、とり込まれる一歩手前まで行きながらその言語を見事に駆使しつつ自己の本体と自律性を保持している。夏目漱石内村鑑三など明治の日本には少数ながらそのような人物がいた。

 もちろん、後者のありようが望ましいが、そのようになれるのはごくわずかの稀なる人である。大部分の人は、そうなれず、モデルに近付くこともできない。中途半端で、ただ学習している言語とその背後にある文化への憧れだけを抱いている。しかもこの憧れは、状況次第では「英語嫌い」のようにまった逆の態度に転化する。」と喝破されている(同書 p.107-108)。まことに至言である。

*2:現在は、母語主義というそれぞれの言語権が尊重され、下手な外国語をしゃべることも寛容的に容認されなければならない。たとえば英語で英語母語話者と英語学習者が集まって会合をもつ場合、英語学習者への尊敬と配慮が払われるべきだし、途中途中で、確認のためのまとめを挟むなど、配慮ある進行が求められる。これからの時代は自動翻訳機の時代でもあるから、学校ではますます人文的な人間教育としてのコトバの教育が必要になってくると思う。またコトバの技術が不十分にとどまり、母語話者のレベルまでいかなくとも、コミュニケーション力全体の技術・力量を磨くことも大切だ。また、学校卒業後、あらためて動機をもって学ぼうとする場合に自主的に意欲的に取り組める方法論(見通し)を学校教育で与えておくことも重要だろう。別の視点でいえば、今日日本語が母語でない外国人労働者との交流は日常化してきている。何語でもよいのだが、片言の外国語を話す経験と苦労は、その意味で、教育的ともいえるだろう。

*3:パソコンにつなぐUSBマイク Yeti を購入した - amamuの日記 (hatenablog.com)

YouTubeで安全・安心・安価に「 なんちゃって語学留学」 ーそのオンライン英語学習時間割を空想してみたー

 本稿は、英語学習に興味をもっていて海外語学*1留学に興味があるものの、主に経済的理由や他の理由から留学実現は難しいと感じている高校生。そして、英語を教えるYouTubeのオンラインサイトに興味はあるものの、多忙のためリサーチする時間のない中学・高校の現場の英語の先生方のために書き下ろした。

 本稿を書く意図は、高校生と現場の英語の先生方に対する応援であって、他の意図はない。すなわち、以下に紹介するYouTuber(online English teachers)の宣伝をしたいわけでは全くないし、少し刺激的な言い方になるかもしれないが、デジタル化を推奨するつもりもないし、グローバリズムの進行や英語帝国主義のお先棒をかつぐつもりもない。高校生と現場の英語の先生方にたいする応援のためにだけ書く。選択眼は、もちろん主観的なものではあるが、英語教師としての長年の経験から選んでみた。YouTuber全部を見ることはさすがにできないので、以下に紹介するYouTuberだけが優秀と主張するつもりは毛頭ないが、以下のおすすめYouTuberは推薦に値すると個人的に考えている。

 推薦するという行為は、推薦する側の能力が問われるものだ。

 ということで、少しだけ自己紹介…。

 大昔の話になるが東京の区立中学・都立高校と公立校で英語を学んだ。高校の教科書はクラウンだった。中学もbe動詞でなく一般動詞から入る三省堂の教科書だったことは確かで、おそらくWilliam L.Clarkのジュニアクラウン。発音はNHKのラジオ基礎英語を聞いて勉強した。思うに、これらは、いわばEFL(English as a foreign language)の話と言ってよいだろう。

 高校生のとき個人的に洋楽に興味をもち音楽を教材にして自主的に英語を学び始めた*2。ラジオを聴いてはレコードを買っていた。生の素材を求めていただけのことなのだが、EFLと比較していうならば、これは英語をESL(English as a second language)的なものとして学ぼうとしたといってよい。父親から中島文雄編の岩波英和大辞典をプレゼントしてもらった思い出があるが、唄の歌詞でわからないコトバを調べようとしても、俗語はおろか該当の熟語が辞書に載っていなければ、調査はそれでおしまい。疑問が解決することはなかった。いまは、Internet、YouTubeなど、さまざまな資料があるから疑問が解決しやすい環境といえる。日本の言語環境では、異国文化を学ぶことはそれほど抽象度が高かった。

 大学は文学部英文科だった。洋楽は聴き続けたが、自分が受けてきた教育に疑問があり、教育学や社会学、社会科学に興味がふくらみ、英語の勉強はおろそかになった。

 卒業後、私大付属高の英語科教員として採用され、かけだし英語教員のとき、半年サンフランシスコに滞在し英語集中講座を受講して、2カ月間かけてグレイハウンドバス*3アメリカ合州国の各都市をまわった。

 その後、長年、英語教師として仕事をしてきたのだが、短期間ではあるけれど、先の留学体験と合州国滞在が自分にとって貴重な体験となった。ESL的な学習については、音楽・映画・電子メール*4など、音声メディア機器・動画再生機器・インターネットなどを使っておこなってきた。

 さて、もしESL的な英語の学びに興味があり、語学留学体験に興味をもち視野に入れている高校生がいるとしたら、実際の留学前にまずは基礎的な英語力をしっかり身につけてほしいと思う*5。これは昔も言われていたことだが、近年、ますますそう思う。もちろんYouTubeに本物の教師の役割も学校の役割も担うことはできない。けれども、昔は音声・動画・テキストとバラバラだったメディアが今はマルチメディア化している。いまは海外留学せずとも、YouTubeでかなりのことが学べるのも確かなことだ*6

 ということで、助言を求められるのであれば、安全・安心にさらに安価に、YouTubeでの「なんちゃって語学留学」を辻説法ですすめている。

 といっても、YouTubeの世界は厖大だ。いったい何を見たらよいのか、とくに初級者は困ってしまうだろう。

 ということで、この記事でおすすめサイトを紹介してみたい。遊び半分で、仮想の語学学校の運営者になった気分で時間割のイメージを考えてみよう。

 おすすめサイトは以下の視点で選んだ。再生回数が多いからといって必ずしも推奨できるかどうかは疑問なので再生回数は気にしなかった。けれども、逆は真なりで、私が推奨したサイトも再生回数は万単位で人気YouTuberであることに違いはない。生徒にすすめたい生徒用と、英語教師用にすすめたい英語教師用の別も示しておく。

 (1)そのYouTuberが英語を教える技術に優れていること*7

 (2)教師の人格に問題のないもの(人権意識・国際意識など差別意識のない、PC、政治的に正しい人格であること*8

 (3)あまり疲れずに飽きずに聞き続けられるもの

 (4)実際に自分が聞いて推奨できると判断したもの

 (5)無料で大量に聞けるもの(プロモーションが入ったとしても)

 

 なんちゃってYouTube「留学」 仮想語学学校の時間割

 <1時間目> 総合英語 Keith English Speaking Academy (UK)

 1時間目に総合英語の時間を考えたい。総合英語としては、なんとっても、Keith English Speaking Academy (UK)がおすすめだ。英語教師としてプロ中のプロであるKeith O'Hare。名前から判断すると、スコットランド系かアイルランド系か。いずれにせよ、とりわけ、生徒に対する圧迫感が少ないのがよい。スペイン語や中国語、フランス語も学んできたキース・オーヘア氏。指導はとっても丁寧で的確だ。キースさんは現在スペインに住んでいる。

 キースさんの授業は、コトバを教えることに集中していて、(宣伝はあっても)授業で余計なことは言わない。きわめて中立的な内容だ。キースさんの英語は、外国人向けの英語(foreigner talk)ではないけれど、母語話者でない生徒を念頭においてわかりやすくゆっくり話をしている。その意味で生徒用にも教師用にも使えると思う。

 Keith English Speaking Academyは、IELTSのspeaking能力向上をめざす生徒向けのビジネスとして運営されているが、ビジネス臭さを感じずに*9無料で視聴できるところがよい。以下、紹介するYouTuberの英語教師の方々は、ビジネスも視野に入っているYouTuberが少なくないが、すべて無料で多くの量の動画を視聴できるものを選んでいる。

IELTS Speaking Preparation - Keith Speaking Academy

 もう一人、総合英語の担当者を選ぶとすれば、Speak English with Vanessa (USA)。家庭的で元気がよいVanessaさん。生徒が頭のあまりさえていない朝の1時間目によいかもしれない。

 ヴァネッサさんも優秀な教師。生徒用にも教師用にも使えると思う。

Improve Your English Speaking Skills Today | Speak English w/ Vanessa (speakenglishwithvanessa.com)

 <2時間目> 発音 English with Greg (UK)

 後年英語を人工的に学んだ者のアウトプットとしての発音が母語話者のように完璧になることは少ない。でもそれは仕方のないこと。練習はすべきだし磨きをかけなければならないが、それでもアクセント(訛り)は残るもの。まさにいろいろな英語(Englishes)の時代。そこは気にしすぎないことだ。けれども発音は、listening comprehension(聴解力)に影響を与えるから、インプットとしての発音はマスターしたいところだ。

 それでイギリス英語なら、English with Greg (UK)がおすすめ。Greg Pioli 氏は、OLA(Online Language Academy)の代表をつとめている。フォネティックスのレッスンもあり、英語教師用として役立つだろう。グレッグさんは、発音だけでなく時制など文法のレッスンもあり、おそらく生徒にも役に立つ。例文も比較的やさしめ。動画視聴の対象は大人向けというより生徒一般という印象がある。ただ、英語に慣れていないと話すスピードが速く感じるかもしれない。グレッグさんの子音の強いブリティッシュイングリッシュを聞いていると、癖になりそうだ。

English with Greg - YouTube

 アメリカ英語を学ぶなら、Clear English Corner with Keenyn Rhodes(USA)。Keenynさんはアメリカ英語の発音コーチと自称していて(資格もある)、他のオンライン英語教師と比較するならば、内容は発音や強弱・抑揚に特化している嗜好性が強いといえる。動画視聴の対象は生徒というより大人向けの印象がある。中上級者向けのボキャビルもある*10一方、 ABCの発音など初級生徒用に使えるレッスンもある。

Clear English Corner with Keenyn Rhodes - YouTube

 日本人の発声・発音の特徴を知っている面白い先生としては、ハワイのスコット先生(Scott Perry) *11スコット先生は、YouTubeで「スコット先生のネイティブ英語講座」をアップしている。アメリカ合州国の「スタンダード」を教えることに特化しているスコット先生。長年、ハリウッドや日本の芸能界の芸能人のヴォイストレーニングを経験し、日本人芸能人への指導経験も豊富なようだ。スコット先生の授業は日本の中学生くらいに面白い授業だと思う。例えば、たいていの日本の英語教師は知っていることだと思うが、発音だけでなく文化的な問題も扱ったレッスン。【ネイティブ英語を学ぶ!】英語と日本語の言い方の違い 東西南北 春夏秋冬 上下左右 - YouTube また、これも日本の英語教師なら知っていることだが、日本のカタカナ英語を扱ったレッスンとして、その英語はアメリカでは通じない!? 日本で使われている間違った英語 - YouTube))。これらのレッスンは日本の中学生には興味深いのではないかと思う。発音練習としては、これもよくある韻(rhyme)やフォニックスのことで定番だが、【リスニングの上達】英語で韻を踏む練習 English Rhymes - YouTubeなども、中学生にはよいのではないかと思う。スコット先生のレッスンのひとつの特徴は、授業は大変ゆっくりなのだが英語発話のスピードは落とさないことだろう。容赦のないスピードでのリスニング指導は、芸能人向けではあるけれど、日本の中学生向きではない。その点には留意しなければいけない。

 細かい音声分析が好みであれば、Rachel's English (USA)はどうか 。これは生徒用というよりも教師用といえるかもしれない。

Home Page - Rachel's English (rachelsenglish.com)

 YouTubeでいろいろな英語(Englishes)の発音が聞けるのは便利だ*12

 実際の留学であれば、たとえばサンフランシスコであるとかロンドンであるとか、ひとつの地域に限定されるわけで、放送メディアを通じない限り他の発音と比較はできないわけだが、YouTubeではまさにさまざまな英語を聞くことができるのが利点だ*13

 ここでは「発音」の時間ということでオンライン英語教師を紹介したが、これらの動画は、語彙や文法などバラエティに富み、発音に限らない講義を展開している。「発音」の時間と限定したのは、たんに便宜的なことに過ぎない。

 

 <3時間目> 文法 

 外国語にはその民族が培ってきた認識が歴史的に反映している。それが文化でもあり、言語としては文法がある。

 英語でいえば、英語独特の個性ともいうべき認識が反映しているため、名詞も動詞もマスターすることは日本人には難しい。最近の英語教育では文法指導が毛嫌いされているようだが、文法をきちんと学ぶことは意味がある。

 英語をマスターするには、名詞(名詞相当語句)と動詞(動詞相当語句)から攻めるのがよいと思う。名詞といっても、普通名詞、固有名詞、具象名詞、抽象名詞等、さまざまな性格がある。英語特有の数意識もある。さらにそこに冠詞もある。名詞(名詞相当語句)をマスターすることは、ひとつの世界観をマスターすることに等しい。だから難しい。動詞(動詞相当語句)にも、時制とアスペクトがある。細かいことは省くが、動詞(動詞相当語句)には、名詞(名詞相当語句)と同じく世界を認識する世界観が反映している。これらを紹介するYouTuberの先生たちから学べることは楽しい。

 もちろんYouTuberの英語の先生でも、日本人の英語の先生でも、文法の説明となれば、ほぼ同じ説明になっているという印象もある。あなたがもし中学生なら、日本人の先生から英文法を習ったほうがよいだろう。高校生なら、習った基本文法をYouTuberの先生方の講義で確認したらよいかもしれない。あなたの文法力をたしかなものにしてくれるだろう。

 さらには、副詞(副詞相当語句)があり、前置詞の理解は、同じく認識が反映していて、前置詞には多義性もあり、日本人には難しい。前置詞は、絵の見える動画でイメージをつかむほうがわかりやすいだろう。

 さらにいえば、語順の問題がある。英語と日本ととは、シンタックス統語論)がまるで違う。語順の問題でいうなら、本多勝一の「日本語の作文技術」の一読をすすめたい*14

 実は、YouTuberのオンライン英語教師は、語彙と熟語のボキャビル、発音、日常会話、そして文法も教えているのが普通で、文法だけ教えているような文法に特化したサイトは少ないのかもしれない。これまで紹介したKeith, Vanessa, Gregらの動画でも文法を教えているので、参考にしてほしい。

 初級文法については、たとえば、品詞を教えているもので、以下のようなものがある。

 このShaw English Online を私はほとんど閲覧したことはなかったけれど、たまたま閲覧したNouns Adjectives Adverbs | Parts of Speech | Learn Basic English Grammar Course | 15 Lessons - Bing videoの動画は、名詞・形容詞・副詞について、きちんと分別的に教えていた。説明に使われている英語は簡単な英語だから、この授業の英語を気軽に聞けるのであれば、若干ダラダラ感はあるけれど、これを視聴して名詞を学ぶのもいいだろう。気軽に聞けない場合は、日本語で書かれた文法の良書を読めばよい。情報そのものとしてはそれほどの違いはないと思う。時間のある英語教師が復習用にこれを聞くのであれば、復習としてちょうどよいだろう。英語教師ならかなり気軽に聞けると思う。Shaw Englishの先生方の出身国はいろいろで、たまたまこの先生はUK出身だった。多様性ある先生方を雇うのは悪いことではない。

 少し調べてみたが、このShaw English は、英語の教室・英語の先生・英語の教科書に出合う環境にない生徒たちのために、韓国のソウルで2013年にカナダ人のShawさんが10人の教師を雇って動画づくりを始めたのが始まりだという。手作り感満載の動画だ。

 講師のひとり、エスター(Esther)さんは、アメリカ人でカリフォルニア大アーヴァイン校卒。発音にアジア系のアクセントを感じる。日本の中学生ならこれまで紹介してきたオンライン英語教師より親しみを感じるかもしれない。look, see, watchの違いなど初級者にわかりにくい点を丁寧に説明している。また生徒の間違いやすいポイントをキチンとつかんで教えている。初級者にとってはわかりやすいだろう。意欲的な中学生なら、挑戦可能だろう。中学生でも楽しめるかもしれない。

    <4時間目> 読解  Learn English with a Short Story(100 words) / Luke's English podcast (UK) 

 Luke ThompsonさんのLearn English with a Short Storyは、普通の”国語”の授業のようで、楽しい。短編を教材にしてルークさんが解説を加えているのだが、その解説は小難しい解説ではなく、ごく普通の解説で、楽しめる。もちろん、母語話者でないわれわれにとってわからないであろう語彙や語句については、いろいろと言い換えてくれて、かみ砕いてくれる。そこがいい。短編については最近は100語に限る教材を使っているようだ。テキストファイルも用意していると言っている。いろいろと活用のしやすい教材になっているので、Listening で使ったり、Readingで使ったりと、さまざまに活用できるだろう。

 たとえば、ロアルド・ダール(Roald Dahl)*15の"Umbrella Man" の朗読と解説を聞くことができる。

710. The Umbrella Man by Roald Dahl (Short Story) - Bing video

 ルークさんは、YouTuberというよりPodcasterというべきで、Luke's English podcastという音声だけのポッドキャストを発信している。こちらを聞けば、Listening教材として使える。

Luke’s ENGLISH Podcast | Learn British English with Luke Thompson (teacherluke.co.uk)

 ルークさんの授業でもうひとつ言っておきたいことは、ここまで紹介してきた先生方がコトバに集中して授業中にあまり余計なことを言わないのに対し、スタンドアップコメディアンもやるルークさんは社会的・文化的なことにも触れることがあるということだ。たとえば、狭いブリテン島でもロンドンのコックニーや、リヴァプールマンチェスター等々で、いろいろなアクセントがあるという話題がされる場合、この話題に触れる教師がGillさんのようにいないことはないが、ルークさんの場合は、さらにその先に触れることがあるということだ。ルークさんは彼の体験として、イギリス英語からすれば末尾のイントネーションが上昇傾向にあるオーストラリアに行ったことも20年前若い時分に日本に2年間滞在したこともあり、日本で日本語は十分学ばなかったが、日本人のしぐさには影響を受けたという*16。日本では、日本人のしぐさに影響を受けつつ、オーストラリア英語の上昇イントネーションに影響を受けた英語を話すことになってしまったという。また日本での英会話授業では、外国人向けの英語を話す(foreigner talk)母語話者の授業を多く観たともいっていた。こうしたものは、ルークさんの理解では、「アコモデーション理論」(相手によって話し方を調整することを説明する理論)といい、CAT(Communication Accomodation Theory)についても話題にしていた*17。つまり、ここで言いたいことは、悪いといっているのでは全くないが、授業をコトバの説明に限って中立的に限定したいと考えるオンライン英語教師が多い中、ルークさんは、そこを踏み越えて、普通に社会学・文化的な話もしてくれるところが、日本の英語教師に重要な話題を提供してくれると思う。印象に過ぎないが、ルークさんの場合、学生時代の最初からTESOLで英語教師をめざしたというよりたたき上げ感が強い。スタンダップコメディアンでもあるルークさんはお喋りが好きだ。現在、ルークさんはパリに住み英語教師とポッドキャスターとしての日々を送っている。

 さて一般論になるが、Readingの素材としては、テキストも、音声も、さまざまな素材がインターネット上にあり、素材に事欠かない。興味ある内容か否か。そして語彙水準と文法水準 (Graded Readers)とが問題となるが、英語テキスト(subtitles)と音声があれば教材になるわけで、まさにお好み次第だ。

 Readingでは、自分が持っている好きなペーパーバックのaudiobooksを探してもよいだろう。

 <5時間目/選択講座> 聴解 

 いろいろな英語(Englishes)を聞く自主的時間。

 いろいろな英語(Englishes)の実相について、自分自身あまり深めていないので、どれを聞くべきか、お示しできないのが残念だ*18

 BBCのラジオなどで、The ArchersなどのドラマをすすめるYouTuberもいるが *19、インターネットでラジオも、ときどき聞いてはいるが、こちらも厖大過ぎて、残念だが深められたといえる段階にない。

 また、「聴解」ということに限ったことではないのだが、外国語を学ぶこと、外国語をマスターするということ、外国語の効率的な学習方法、ひとことでいえば「外国語の学び方」という講義があってもよいだろう。この講義の先生でいえば、多言語をマスターしたスティーブ・カウフマン(Steve Kaufmann)*20氏がおすすめの一人である。

 <6時間目/選択講座> 発話・表現 

 発話・表現の時間として、自主的に、WritingとSpeaking練習としてのShadowingに取り組む時間としたい。

 PCを使ってのSpeakingの練習としてのShadowing。

 Speaking はまさにspeakingとしての実践しかないが、Speakingにつながる練習として、Shadowingが奨励されている。シャドーイングをおこなうだけなら、PCは必要ないが、集中しておこなうには、PCでおこなうことが奨励されている。

 PCでShadowingをおこなうセットアップは、Shadowingで日本語をマスターされたMatt vs JapanのYouTubeの動画が大変参考になった(Matt vs Japan's Ideal Shadowing Setup - How to Shadow - Bing video)。マットさんのセットアップから学んで、自分もShadowingのできる環境を整えてみた。結果的に、動画が推奨しているワイヤレスヘッドフォン*21とマイク*22を購入することとなったが、提唱者のマットさん自身が言っているように、別の機種でも全く構わない。YouTuberであるマットさんはShadowingをおこなった録音用にOBS Studioを使われているが、フィードバックはできないけれど、録音せずともShadowingは可能と思う。

 Shadowingについては、次の記事を参照のこと(英語シャドーイングが楽しめるPCのセッティング ーヘッドフォンとマイクを使ってー - amamuの日記 (hatenablog.com))。

 また、SNS等を使ってのWriting。

 今日的にはSNSでのWritingのほうが小回りが利くと思うが、以前、本ブログで、選択授業構想の記事を書いたことがある(CALLで提出した最終レポート - amamuの日記 (hatenablog.com))。

 

 以上のほかにも、英語教師用に、英語史では、The Adventure Of English - Episode 1 Birth of a Language - BBC Documentary - Bing videoのようなBBCの番組*23アメリカ合州国*24について学べるサイトなど、厖大なものがあり、検索力が試されると言うべきかもしれない。

 以上、おすすめしているサイト(「授業」)はそれなりの量を見ていて長年の教師経験から自分に見る眼はあると思っているが、気ままに聞き流してきたところもあるし、膨大なYouTuberを全部見ているはずもないので、これまで遭遇できていない他の優秀なYouTuberの英語教師がいるのも間違いないところだ。その意味で、本稿も更新していかなくてはならないと考えている*25

 

 以下、簡単なまとめをしておく。

 (1)インプットとアウトプット

 インプットとアウトプットでいえば、まず、インプット(listening / reading)。アウトプット(speaking / writing)はインプットの量で決まる。

 いくつかおすすめの一部のサイトは以下のとおり(敬称略)。

Keith IELTS Speaking Preparation - Keith Speaking Academy

Vanessa Improve Your English Speaking Skills Today | Speak English w/ Vanessa (speakenglishwithvanessa.com)

Greg English with Greg - YouTube

Keenyn Clear English Corner with Keenyn Rhodes - YouTube

Luke 710. The Umbrella Man by Roald Dahl (Short Story) - Bing video

 (2)実際に聞いてみて、飽きずに、楽しく、自分に役立つ先生を選ぶことが大切。自分の判断が一番大切(本稿も含めてのことになるけれど他者からすすめられたものでもとにかく自分が判断すること)。

 (3)アメリカ英語・イギリス英語・オーストラリア英語などの個性もあるけれど、いろいろな英語話者のいろいろな発音を聞くことも勉強になる。いろいろな先生に出合うのも勉強。YouTuberの先生もあれこれ聞くとよいと思う。

 (4)writingは、SNSなどで発信してみよう。speakingは、練習としてshadowingがおすすめ。shadowingのセットアップについては、別の記事を参照のこと。

 

 そもそも教師を推薦することは気が引ける。とくに自分があまり知らない先生方を紹介するのは気が引けるが、それでもこの記事に書いたことが、少しでも高校生や現場の英語の先生方に役に立つのであれば、書き手としてそれほど嬉しいことはない。

 半分遊びで時間割を組んでみたけれど、以上書いたことに間違いや勘違いの少ないことを祈りたい。もちろん、さらに調査をすすめて更新していきたい。

*1:「語学」とは言語を学問研究するような場合に使うべきであって、英語集中講座のような場合に使うべきではないと思うが、ここでは俗の使用法に従っている。

*2:高校生のとき追いかけていた70年代ウェストコーストロック ー映画「ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック」・「エコーインザキャニオン」を観てー - amamuの日記 (hatenablog.com)を参照のこと。

*3:グレイハウンドバスでアメリカ大陸を回った経験を話すと、勇敢でしたねと言われることが少なくなかった。

*4:電子メールを使って交流した経験については、担当教授から少しほめられた私のCALL個人史 - amamuの日記 (hatenablog.com)を参照のこと。

*5:以下のサイトが難しいと感じた生徒には、たとえばSakura English Schoolなどがよいだろう。たとえばシリーズになっているようだが、そのひとつ「アメリカ人が子どもの時に覚える英語116フレーズ【178】 - Bing video」。このサイトでは日本語が示され英語が示され繰り返される。留学感は全くないし機械的なドリルで面白味もないけれど、逆に機械的ドリルとしておすすめ。聞き流しにも、シャドーウィング用にも使える。生徒用。その次にShaw Englishの初級講座がよいかもしれない。

*6:この意味で、本稿は、担当教授から少しほめられた私のCALL個人史 - amamuの日記 (hatenablog.com)の延長上にあるものと言ってよい。

*7:英語を教える技術を評価する場合、TESOLなどの資格取得や学歴などもサイトに書かれている場合はチェックしたが、指導経験のキャリアも小さくない。また意欲・情熱の有無もある。さらに中学生など初級者の場合、あまり専門的過ぎても生徒に合わないこともある。英語を教える技術については、動画(授業)を実際に見て選んでみた。

*8:国際的コミュニケーションを考える際に、すべて英語で行くというのは、英語が母語の人間にとっては、母語獲得以上の苦労が全く必要ないわけで、わたしたち日本人が英語を必死に学んで、おそらく不十分な到達の英語で交流することになるのは大きな不公平を感じる。これからの時代は多言語コミュニケーションが望ましい。英語教師を選ぶ際にも、最低限外国語で苦労した経験をもつ英語教師に学びたいと考えるのは人情だろう。

*9:通常の番組にも一定時間プロモーションが含まれることはある。またビジネスはビジネスとして別個に宣伝時間を確保していることもある。結論的にいえば、キースの授業では、ビジネス臭さを感じることなく無料で視聴できる授業を多く感じることができるだろう。

*10:語彙増強(ボキャビル)なら、advanced Englishと銘打っているLearn English with Harryもおすすめだ。たとえば、TOP Advanced adjectives to describe a person In English | Advanced English - Bing video

*11:Scott Perry(Scott | scottsensei)氏。

*12:たとえば、Learn English with Gillでは、UKのアクセントと方言のレクチャーがあった。Learn British accents and dialects – Cockney, RP, Northern, and more! - Bing video

*13:Englishes といわれる ように今日多様化しているEnglish。基礎を固める段階では、どこか地域を決めてlocal に徹しないと混乱するという問題性から、international をめざすとしても、学びの方法論としては、まずは local に徹したほうがよいのではないかという議論がある。また、結局は、日本人としての自前の英語をつくるしかないのだろうという議論もある。いずれにせよ、この辺の議論を考えながら学んでいかないといけない。

*14:英語学習では、SV感覚が重要 - amamuの日記 (hatenablog.com)

*15:版権はどうなっているのだろう。ロアルド・ダールは版権が取りにくいと聞いたことがある.。当然にもこれ書いたときにはアップされていなかったものだが、ルークさんの次のRoald Dahlの"Parson's Pleasure"の授業も水準の高いいい授業だった。Roald Dahl の "Parson's Pleasure"は、まさに落語である。817. Parson’s Pleasure by Roald Dahl (Learn English with a Short Story) | Luke’s ENGLISH Podcast (teacherluke.co.uk)

*16:ルークさんは、リヴァプールで大学を卒業(メディアとカルチャースタディ専攻)したが当時は就職状況も悪く就職は決まっていなかった。知人がスペインで英語を教えていてバルセロナのビーチで遊んでいると聞いて、英語は母語というだけで文法はわからなかったが、英語を教えるのもよいと考え、突然、ハイテク・ロボットのイメージの日本に行くことにした。ヒースロー空港で飛行機に乗るとき突然不安に襲われたが、日本のNovaで働く。異国で、イギリスとは違う天候のもと、ビッグベンのようなチャイムが鳴っては10分間の休憩時間中に次の授業の準備をして、毎日9時間、5日間。3か月低給で吉野家の牛丼で済ませ、疲労困憊して病気になる。日本で病気になった話は二度ほど聞いたことがある。ルークさんを知るには、日本で扁桃腺を腫らして病気になった話Sick in Japan: 日本の病院に入院することになった経緯 (LEP#118より) - YouTubeがおすすめで面白い。鎌倉の大仏付近でニルヴァーナのドラマーにばったり遭遇した話など、ルークさん自身も学生時代よりドラマーだったり、ギターを演奏したり、音楽好きのようだ。経歴からして、ルークさんはたたき上げの英語教師といえる。

*17:Why are there so many accents in the UK? LEP Video Podcast - Learn English with Luke Thompson - Bing video

*18:さまざまな英語(Englishes)の分野はまだ深められていないので、具体例を示すことができないのが残念である。LingQを主催しているSteve Kaufmann 氏はスウェーデン生まれで国籍はカナダ。ただ日本語も含めた多言語話者であり、例外扱いしないといけないだろう。パリで語学学校を主催しletthemtalktvのGideonさん。かなり個性的。インド系英語と思われるThe Urban Fightはかなり個性的。チェックし始めているが、十分に深められていると言える段階にない。Shaw English のエスター(Esther)さん。アジア系のアクセントを感じる。国籍はアメリカでカリフォルニア大アーヴァイン校卒。初級者にうってつけの先生だ。

*19:English with Lucyで audio soap-operaとして、比較的短い15分くらいの"The Archers" (BBC radio 4) をすすめていたが、聞いたことがないのでわからない。

*20:ティーブ・カウフマン氏とキースさんとのインタビューは面白かった。以下を参照のこと。「うまく話せるようになるには、たくさん話さないとなりません」「エレガントな言葉の使い方は、ネイティブスピーカーの音声の訛りまでマスターしなくてもできます」(カウフマン) - amamuの日記 (hatenablog.com)

*21:ワイヤレスヘッドフォンのBose QuietComfort 35 II を購入した - amamuの日記 (hatenablog.com)

*22:パソコンにつなぐUSBマイク Yeti を購入した - amamuの日記 (hatenablog.com)

*23:英語史でいえば、英語の語彙について英語史的に英語の先生が授業したものに、GillさんのDiscover the History of English - YouTubeなどがある。そろそろ語源を学ぶべき高校3年生やかけだし英語教師にとって、20分程度のこの講義でも大雑把な認識は得られるだろう。ところでイギリス語の語彙形成で、こうしたことが知りたければ、なんといっても"Instant Vocabulary" by Ida Ehlich(pocket)がお薦めだ。ラテン語ギリシャ語の語源や派生語、接頭辞、接尾辞などを知りたい意欲的な高校三年生の必読書と、私は勝手に思っている。

*24:たとえば、既存の歴史認識に大きな一石を投じたHaward Zinnのch 01) Columbus, The Indians, and Human Progress - YouTubeのaudiobookなども利用できる。

*25:本稿を書き下ろすために、実際いろいろなYouTubeを見てみた。YouTuberの資料はまさに厖大で、以下は私が閲覧したほんの一部。To Fluency( UK) なども面白い。To Fluency( UK)  /  Interactive English(USA)  /  Papa English papa teach me with Aly (UK)  / mmm English (Australia) / English with Lucy (UK) / Learn English with Gill(UK) /Learn English with EnglishClass101(USA) 

ハロウィーンの歴史を少し学んでみた

 私大付属高でかけだし英語教師の頃、サンフランシスコで英語集中講座を受けたことがあった。10月31日が近づいてきたとき、クラスメートと一緒にハロウィーン*1パーティをやった。といっても日本語を学んでいる留学生たちが日本で節分の豆まきをやった程度の体験だから、これはたいした経験ではない。日本に帰国して授業中"treat"という単語が登場すると、"trick or treat"を例文に使ったり、髪の手入れの宣伝でトリートメントを生徒が知っていたのでtreatmentという派生語を教えたり、よく唄の歌詞に使われる"Treat me right"を例文を使ったりした。他の教科書で五月祭というレッスンがあって個人的にMay Dayについて深めていたとき*2に、労働者のメーデーは近年のもので、May Dayとは本来古代ケルトの暦と関係していることを知った。その後、アオテアロアニュージーランドにホームステイしたとき、お世話になっていたイングランド系のご夫婦がハローウィーンを快く思っていないことを知ってその歴史的・社会的文脈を再確認した経験もある。イギリスではハローウィーンお断りの家庭用ポスターをダウンロードできることものちに知った。

 YouTubeで、ハロウィーンの歴史を少し調べてみた。

 短いのも入れていくつか見てみたが、少し長いけれど、例えば、以下のHistory Channelのものも参考になった。

The Real Story of Halloween - The History channel - Bing video

 まず、ハロウィーンの起源をおさえたい。

 ハロウィーンは、古代ケルト民族の、2000年前ともいわれるサーウィン(Samhain)*3が起源とされている。

 ケルトの暦によれば、1年を二分化し、5月1日のメーデーをベルテイン(Beltane)、10月31日・11月1日をサーウィン(Samhain)といって、このふたつが大切な区切りとなる。

 サーウィンは、「夏の終わり」であり、「冬の始まり」であり、「新年の始まり」でもある。

 一年を二分化して考えるわけだが、「明と暗」(the light and the dark)ということになる。

 ベルテイン(Beltane)(メーデー)は、「夏の始まり」であり、いのちの輝き、草花が花開く時期を迎えることになる。樹木を崇め*4、自然を崇拝していた古代ケルトドルイド教*5にとって、サーウィンは冬の始まりであり、暗い祭りであった。サーウィンは、bon fireの火で明るくする火の祭り。このbonは、bone(骨)に由来するという説もあり、ドルイドにとって、サーウィンは死の祭典(celebration of death)であった。脈絡は全くないのだけれど、死人が大地を訪問するというのは、日本のお盆のようなイメージと重なる。

 起源の次におさえたいことは、かたちを変遷させているとはいえ、なぜこんな古いケルトの風習が、現代まで生き残り、続いているのかということだ。それは、古代ローマ帝国古代ローマ人によるケルトの征服*6と、キリスト教(ローマカトリック)が関係している。古いケルトの風習を、キリスト教(ローマカトリック)が生き残させ、広げたと言ってもよい。

 7世紀のアイルランドブリテン
 ローマカトリックの神の名のもとに、グレゴリー1世教皇(Pope Gregory the 1st)が アイルランドブリテンケルトドルイド教からキリスト教への改宗(conversion)をせまった。
 「(ローマカトリックは)サーウィンは始末せず、サーウィンを取り入れた。けれども名前は変えた(They didn't do away with samhain, they adopted it but changed the names.)

 ここが味噌ですね。

 征服はするけれど全てを奪うことはしない*7。古代ケルトドルイド教を征服した側が、その自然崇拝・樹木崇拝を、リースやクリスマスツリーというかたちで、その一部を取り入れたように、かたちとしてサーウィン( Samhain)を残して、ローマカトリックにとってサーウィンを、その名前を変えて「諸聖人の日」(All Saints Day)という扱いにしたのだ。そして、834年にグレゴリー3世教皇が、「諸聖人の日」を、5月13日から11月1日に正式に移動させた。ここから、10月31日は諸聖人の日の全日(All Hallows' Eve)*8となり、今日のハロウィーン(Halloween)となった。中世のブリテン島では、ローマカトリックの影響から、11月2日を「死者の日」(All Souls Day)とした。カトリックでは「煉獄」(purgatory)から逃れるには、ソウルケーキ(soul cakes)を求める物乞いには、食べ物を与えるべきという考え方があり、マスクで顔を隠して地域をまわり食べ物やお金を求め、代わりに詩をそらんじたりしたという(souling and guising)。これが、今日の「お菓子をくれなきゃイタズラするぞ」("trick or treat")の風習につながったという説もあるが、関連しないという説もあるようだ*9

 さて、最後に、アメリカ新大陸の話をする*10

 新大陸に渡ったピューリタンたちにとっては、ハロウィーンはあまりに異教徒的(pagan)で、カトリック的だったから、ピューリタンハロウィーンを禁じた。

 19世紀半ばにアイルランドでジャガイモが疫病にかかって大飢饉が起こり、多くのアイルランド人が海を渡り移民としてアメリカ合州国に向かった。そのアイルランド人やスコットランドアイルランド人が新大陸にハロウィーンを持ち込んだのが新大陸でのハロウィーンの由来となる。

 同じく19世紀半ば、アメリカ合州国では、4年にわたる南北戦争で歴史上名前を知られることのないおびただしい厖大な死者が出現した。北軍と南軍の両軍合わせて50万人近くが戦死し、合州国史上最悪の戦没者数となった。もしかして死んでいないのではないか、ひょっとして生き返ってくるのではないかと、この惨禍からハロウィーンの意味があらためて始まったともいわれる。ジャックオーランタンに、カブ(turnips)が使われていたものがカボチャ(pumpkins)になったり、trick or treating (もともと腹をすかした悪霊に食べ物を与えないと悪さをするということから)も広がり、よりアメリカ的なかたちでハローウィンが盛んになった。
 たとえば、1920年代、アイルランドスコットランドの移民の子どもたちが、窓ガラスや自動車のフロントガラスを割ったり、火をつけたり、家畜の柵の門を開けて家畜を逃がしたりと、イタズラが過激化して破壊的になったという歴史がある。イタズラは、大恐慌時にはさらに悪化したという。1930年代には、こうしたあくどいイタズラをパーティ化する試みがみられ、いたずらの夜からパーティの夜に(from prank night to party night)する試みが広がっていった。

 家庭で作っていたハロウィーンの衣装も商業化された。通りでのハロウィーンパレードも始まった。お菓子も、手作りから、ハーシーのチョコレートなど、大量生産され市販で売られているお菓子に変わった。ハロウィーンは、チャーリーブラウンのマンガに登場し、ハロウィーンのホラー映画もつくられた。

 1950年代以降、ハロウィーンは、家庭的(family-friendly)、子ども中心(kid-centered)のものになり、クリスマスに次いで、ますます商業化したビッグビジネス(big business)*11となった。

 今日子どもたちが地域をまわることにはさまざまなリスクがあり、ハロウィーンは、大人の祭りと変化している。

 こうした変遷はありながらも、今日のハロウィーンも、自分も悪霊の仲間だと知らしめ悪霊から身を隠すためのドレスアップ(コスプレ)や、死の祝いととらえたドルイド教のサーウィンから、あい変わらず死のイメージをもっているし、伝説や、ナッツやリンゴなどの食べ物も受け継いでいる。

 宗教的意味合いはなくなりつつあり、まさにイベント化しているハロウィーン*12だが、古代ケルトのサーウィン、ローマカトリック支配によるサーウィンの取り込み、アメリカ合州国に渡ったハロウィーン、その変遷と、以上、動画から学んだことを少し書いてみた。

*1:日本語表記の仕方として、昔はハローウィーンという記述が多かった記憶がある。いつの間にかハロウィーンやハロウィンが使われるようになった。

*2:イギリスの歴史と文学を考えるうえで森というキーワードを使って自然対文明という文明論・文化史を考えた好著に「森のイングランド」がある。川崎寿彦氏の「森のイングランド」は、五月祭を考える際にも参考になった。

*3:サーウィンとは10月31日の前夜祭と11月1日の祝祭のこと。

*4:「森のイングランド」に、ケルト民族のドルイド教は森の木々、「なかでもオークを崇拝し、そのオークにヤドリギが付着していれば最高に神聖な啓示として、うやうやしい儀式をとりおこなった」という。また「オーク崇拝」という点ではケルト信仰もギリシャ古来の信仰も同根と指摘している。

*5:「森のイングランド」には、「<ドルイド>とはギリシャ語のdrus(木、とくにオーク)にインド・ヨーロッパ語系の語根wid(知る)がついたもの、すなわち「オークの知恵をもつ者」の意であろう」とある。

*6:「森のイングランド」によれば、「森そのものを神聖と考えていた」ドルイド教徒たちが自然崇拝文化だとすれば、「石の文明と宗教」「石の教会」など「石造りの神殿を建て」たローマ文明とは、「野蛮」と「文明」として対立していた。ドルイドは森に君臨し、「人身御供の悪習」もあったとされる森の野蛮人にローマ人はショックを受けたともいわれている。ローマがガリア(ケルト)を攻めるのは、文明が森の野蛮を攻める行為であった。ドルイドの総本山はブリテン島であり、ローマ軍は各地で森を切った。それは文明の光をもたらすenlightmentであった。

*7:たとえばイングランドによるアイルランド支配。ケルト十字架は、キリスト教のシンボルである十字架と太陽をあらわす丸で構成されたハイクロス(ケルト十字)として9世紀頃につくられた。ここに見てとれるように、支配者は被支配者の支配後、被支配者の文化を狡猾に取り入れることが少なくない。

*8:hallowとはsaintのこと。

*9:trick or treatの歴史は、たしかに、soul cakesというカトリックの伝統と歴史的に関連はしていると言えるのだけれど、アメリカ合州国trick or treatingは、一般に「古いと考えられているが、実は80年くらい」と動画では言っていた識者がいた。

*10:YouTubeでは、アメリカ合州国版のハロウィーンの解説動画が多いようで、そこから歴史をたどる動画が多い印象がある。

*11:6.9billion dollarsと動画では言っていた。

*12:イベント化しつつあるハロウィーン。つい最近、韓国のソウルで悲惨な事故が起こってしまった。安全管理上の危機管理の問題が指摘されている。South Korea mourns, investigates deadly Halloween crowd crush (nbcnews.com)

問題の多いスピーキング”テスト”を都立高の入試に導入することは止めて、中学生に、さすが大人は違うと、人としての模範を示してほしい

 あらたに都立高入試に導入されようとしている問題だらけのスピーキング”テスト”*1
 あと一ヶ月後に実施予定とされるが*2、これを入試に使うのは止めてほしいという声が広がっている。


 第一に、かつて区立中と都立高で英語を学び長年私大付属の高校教師として英語を教えた者として許せないことは、教育行政としてやるべきことをやらず、教育行政としてやってはならないことを、公教育、公立学校に導入しようとしている点です。内容としても段取りとしても教育行政としてやってはならないことを、学識者や教育関係者、父母の批判意見を納得させられないまま強行しようとしている点にあります。本来なら入試を担当する教育“専門家”の範疇で不可にすべき“テスト”が、いまだ不可にならず、父母を巻き込んでの騒動になっていることは、教育とは無縁の珍現象というほかありません。

 こんな騒動を見せられている中学生は、どんな気持ちでこの騒動と大人たちを見ているのでしょうか。
 こんな大人の所作を見せつけられて心底落胆しているのではありませんか。当時中学生であった自分であれば、そんな大人たちに絶望したであろうと思えてなりません。

 言うまでもなく、国民全体に対し直接に責任を負っている教育行政がやるべきことは、国民の教育を受ける権利の実現と保障にあります。教育行政がやるべきことは、教育の機会均等や、教育水準の維持向上に努め、教育の目的を遂行するに必要な条件整備をおこなっていくことです。
 たとえば英語スピーキング能力を向上させたいのであれば、民間“テスト”を刺激剤に導入するのではなく、一クラスの定員減や英語教員の研修を増やすなど、劣悪な教育環境・条件を改善すべきです。教育行政としてやるべきことは山ほどあります。

 今回のスピーキング”テスト”は、新しく導入されるものです。既存の入試を使えば、あえて導入しなくてもよいものです。全員が賛成できるような内容で問題ないものであれば、導入を検討することもあるかもしれませんが、問題が多ければ、避けるのが当然です。中止が妥当な判断です。しかしそうした展開にはなっていない。


 なぜゴリ押しするのか。そこがわからない。不可思議です。

 教育行政は「不当な支配」に服してはなりません。この「不当な支配」とは、政治的・官僚的支配のことです。今回のなりふり構わぬ導入に、民間業者と政治家との利権がらみの癒着が噂される「不当な支配」はないのでしょうか。心配と不信感がぬぐえません。


 第二に、そもそも、今回導入されようとされている瑕疵だらけのスピーキングテストは“試験”と呼べる代物なのか、多くの疑問があります。

 評価とは、生徒の学びを励まし、さらに意欲的に努力するよう背中を押してあげられる評価もあれば、選抜試験のように、やらざるを得ない必要悪的な試験(評価)もあります。

 教育活動でいえば、入学は広き門で、卒業が狭き門という学校制度と学校組織そして教育活動もある一方、入学は狭き門で、卒業が広き門という学校制度と学校組織そして教育活動もあります。
 教育活動としては、「広き門」のほうが、教育の機会均等にとっては適切と考えますが、「狭き門」となれば選抜するしかありません。つまり競争試験となります。必要悪としての入試が必要となります。ただし、それは差別的でなく、公正・公平でなければなりません。少なくとも公正・公平をめざさなくてはなりません。

 今回のスピーキング”テスト”は、公正・公平が担保されているのでしょうか。教育活動に一度でも携わったことのあれば、疑問の余地なく否と言えます。


 生徒を評価する場合、まずその評価者に評価させてよいものか。評価者は評価できる資格・要件を備えているのか。評価者の評価が大前提となることは言うまでもありません。不信感を抱いている評価者に評価されたくないと当事者が考えるのは自然なことです。

 一般に、試験問題作成、試験実施の運営体制、採点業務のすすめ方・あり方は、説明責任を果たして可能な限り公開しなければなりません。しかしながら、質問に対して「運営体制、問題作成、採点業務等については、テストの公正・公平な運営上の機密事項に当たるため、公表することはできません」というのが回答と聞きます。


 この点で、今回のスピーキングテストは、教育を担当する都立高校関係者でなく、(公教育従事者でもなく?)事業者は都教委ではありますが、運営主体がベネッセ、さらに試験監督は外部人材のアルバイトという民間企業に丸投げの信頼性が危惧される体制であり、さらに具体的に評価を担当するのは、フィリピンという外国における丸投げ体制で、それらの評価体制の情報は開示されないと聞いています。これではさらに不信感が募るばかりでしょう。

 公教育としてこれほど主体性の感じられないテストが都立高校の入試として成立するのでしょうか。理解に苦しみます。

 第三に、そもそも、スピーキングの力を点数測定すること(評価すること)はとても難しい。
 そもそも<質的に>スピーキングをテストするということ自体、大変むずかしい活動です。
 それが<量的に>8万人もの受験者を点数評価するとなれば、さらに困難がともなうことになります。時間的制約があるとなれば、なおさら物理的に難しくなります。公正・公平にやるとなれば、ほとんど不可能と言わざるをえません*3


 それほど難しい点数評価であるにもかかわらず、フィリピンで採点をおこなう組織名、経営形態、雇用人数、雇用形態、専門性の担保等を質問したところ、「組織名と経営形態、雇用人数については、テストの公正・公平な運営上の機密事項に当たるため、公表できません」との回答だったと聞きます。これは無責任の誹りを受けて当然と思いますし、不信感が払拭されずにさらに募るのも当たり前です。


 スピーキングの点数評価は実際むずかしい。

 たとえば、ぺらぺら話すが、内容に乏しい発話*4。朴訥とではあるが、深い内容を話す発話。人格に直結する話す力を評価することほど難しいことはありません。そもそも点数評価にそぐわないのです。

 極端な話、落語の5代目古今亭志ん生と8代目桂文楽の話芸をみても話す力が個性であることがわかります。果たして点数がつけられるのか。中学生のスピーキングテストと話芸のレベルは違うということは言うまでもありませんが、本質的には、同じ問題を抱えることになります。

 

 そもそも、日本の英語教育はどうあるべきか。根本問題があります。

 歴史的にみて英米と日本との国際関係。支配的大言語としての英語(英語帝国主義)。敗戦後の米軍占領下。その後の英会話ブーム。日本人にとって英語をマスターすることは、見果てぬ夢のようなところがあります。けれどもタイプの違う他言語を学ぶ場合、膨大な学習時間が必要となります。そしてインターネットの登場とSNSやAIもふくめた今日における英語学習課題とは何か。今後の課題として、日本の言語環境における英語のスピーキングをどう考えるべきか。少なくとも日本の言語環境からみて、ESL(English as a second language)として教える言語教育とEFL(English as a foreign language)として教えるリベラルアーツとしての外国語教育を区別しての議論が必要です。大人たちは確信をもって日本の英語教育の展望を言えるのでしょうか。多くの人を巻き込んだ教育的議論が必要です。

 こうした情勢のもとで、英語を話すことを目標にする場合、少なくともその英語のモデルをどのように設定すべきか、モデル設定の問題があります。古くは小田実氏が提唱されたイングラント、鈴木孝夫氏のイングリック、渡辺武達氏のジャパリッシュなどの英語モデルのことです。この辺が定まっているとは言えません。日本全体の英語教育の底上げをはかるには、英語教育の目的、目指すべき英語のモデルを明確にしなければなりません。そして、それを小中高大とカリキュラム化しなければならない課題があります。広範な国民的議論が必要です。
 今回の”テスト”の評価基準のひとつとして、母語の影響を受けている発音というのがあると聞きます。そもそも母語の影響を完全に免れることはできません。こうした基準は独り歩きしていきますから、「母語の影響」という基準が設けられれば、塾関係者も生徒も、話す内容よりも「母語の影響」を削ぎ落す発音修得に懸命になっていくでしょう。シェイクスピア研究で有名な英文学者・故中野好夫氏は、流暢ではありませんでしたが、深い英語を話したといいます。発音が重要でないというつもりは毛頭ありませんが、「母語の影響」は少なからず残るものです。タブレットを使ったスピーキング”テスト”モドキなど止めて、むしろ通常授業で発話の失敗を恐れず、話す内容が大切と励ます指導が必要です。時間数からいっても、クラスの定員数を減らし教育環境を改善し、英語の語彙や英語の構造の知識など最低限の力をきちんと身に着けさせることが肝要です。

 「母語の影響」という植民地的ともいえるこの基準は、今日的視点としてズレています。鳥飼玖美子氏は、日本の若い世代に、twitterにおける書く英語の発信の少なさを嘆いておられました。日本の言語環境が大いに関係していると思いますが、発信自体が少ないのです。発信を恐れず、生徒に話したい内容を考えさせ、発信を励ます今日的指導が必要です。

 

 こうしたことを考えると、今回スピーキングテストを導入しようと考えている人たちの言語観・教育観を信用することは到底できません。

 

 日比谷高校など、比較的入ることが難しい高校は、独自の入試問題作成をおこなっていると聞きます*5が、それら例外はあるでしょうが、入試共通問題作成にかかわる都立高校の現場の先生方が少ない中で、今回のスピーキング”テスト”に関する教育の主体である現場の先生方からの声を聞くことはあまりありません。このこと自体が問題と思いますが、都教委は、現場の先生方をはじめ学識者・保護者・生徒の意見にもっと耳を傾けるべきです。都教委は、教育行政としてやってはならないことをやってはいけません。教育行政としてやるべきことをやるべきです。

 

 第四に、英語スピーキング”テスト”としての問題もありますが、それ以上に問題と感じるのは、入試問題としての制度設計の瑕疵です。スピーキング”テスト”を外付けにしたせいなのか、総合点的にみて英語の比重が増えてバランスを欠いた点。スピーキングテストがそれほど重要であるならば、本来、英語試験の中に組み込まれるのが普通です。バランスを欠いた制度設計は、中学校の教育活動をゆがめることになります。さらに公正でも公平でもない点でひどいのが不受験者の扱い。みなし得点(見込み点)の算出方法です。これならスピーキングテスト”を導入する必要すらありません。またこれでは入試における公正さ・公平さが担保されません。また不適切な実施時期。さらに不十分なフィードバックという問題も試験としてのかたちを成していません。言うまでもないことですが、入試で最も必要なことは、公正・公平です。それが担保されない入試となれば、それは入試のかたちを成していないと言わざるをえません*6

 

 教育活動は、不信感の募る中でおこなうものではありません。

 内容としても段取りとしても瑕疵の多いスピーキング”テスト”を都立高入試に導入することは止めて、教育行政としてやるべきことをやってほしいと切に願っています。そして、中学生に、さすが大人だ、大人の所作は違うと示してほしいと思います。

 たとえアチーブメントテストとして実施したとしても、スピーキング”テスト”の点数評価を入試に組みこむのは止めるべきと考えます。

 不信感でなく、信頼関係の中でこそ、教育は生かされる、生徒も生かされると考えます。

 

*1:以下、教育行政の役割と公正・公平をどのようにしたら担保できるかという技術的な問題を主に述べるが、そもそも小中高大と英語教育の体系が明確でないところで、中学生だけに、それも全受験生に話す力をテストすることの意味があるのかという根本問題がある。政治家と財界人に教育がからめとられている気がしてならない。国家のための人材育成なのか国民主権の人格形成なのかという問いが重要である。利権的でない、教育的な論議が待たれる。

*2:ESAT-Jは、2022年11月27日実施予定。

*3:生徒の発話をうながす評価活動が教育活動として不可能であると言っているわけではありません。また意味がないと言っているわけでもありません。通常授業中のインタビューテストなどで積極的におこなってもよい評価活動ではありますが、生徒どうしを比較して合否を決めるような点数評価として、たとえば入試に使うことは避けるべきというのがその主旨です。

*4:異文化コミュニケーションの専門家である鳥飼玖美子氏は、定型表現を暗記したとしても、それが実際に使う場面で使えるかというと単純にはつながらない。中学校3年生に要求する試験として、定型表現を暗記させ、あたかも流暢に話しをしているかのようにさせるのは、英語教育の視点から考えて疑問があると、外国語における会話というのはそれほど単純なものではないと喝破されている。さらにプレテストの結果の評価コメントを見て驚いたという。評価コメントには、ぺらぺら喋ることが大事であるかのように、よどみなく話せるように頑張りましょう、1分間の間にどれだけスラスラ言えるかというような文句が並んでいたからだ。母語話者ですら、自分で考えながら大事なことを話すときには、考えながら、よどみながら話をするものだと。立て板に水だけがいいわけではない。

*5:都立入試での自校作成校とその対策 | 東京ナビ (tokyonavi.info)

*6:阿部公彦東京大学教授) 、鳥飼玖美子 (立教大学名誉教授) 、南風原朝和東京大学名誉教授) 、羽藤由美 (京都工芸繊維大学名誉教授) 、大津由紀雄慶應義塾大学名誉教授)氏らが都教育庁に提出したESAT-Jに関する要望書<2022年10月14日>は、「1 不公平な入学者選抜が行われる可能性が高いこと2 円滑な試験運営ができない可能性が高いこと」として、「都立高校入学者選抜に中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)の結果を使用しないことを要望」している。

【都立高入試】公平・公正でない英語スピーキングテストは中止にすべきです

 都立高入試にあらたな英語スピーキングテスト(ESAT-J)導入。

 ひとつの問題点だが、不受験者の扱い方が入試における公平性・公正性が保てないのではないかとの質問に対して「何か釈然としませんですね」と末松文科大臣も答弁せざるをえなかった英語スピーキングテスト*1

 この11月に実施予定とのことだが、なぜこうした欠陥だらけの試験がいまだに中止されることなく実施されようとしているのか不思議でならない*2*3

 なぜ即刻中止にならないのか、まことに不思議だ。

 さらに不思議な点は、報道も少なく、広く社会的に知らされていないのは、なぜなのか。

 

 問題山積みのスピーキングテストについて「TBS森本毅郎スタンバイ!(2022年5月24日)」で触れたことがあると知って、YouTubeを探してみた。全体の放送は簡単に見つけることができたが、その箇所だけ切り取られたYouTubeはなかなか見つけることはできなかった。中止運動がもっと広がっていれば、もっと簡単に見つけられただろうにと思うと、こうしたわかりやすい放送がもっと拡散してほしいと願う。

 いろいろとインターネットをブラウズして、TBSラジオのサイトらしきものを見つけた。要約もありわかりやすい。「取材 中村友美」との記載があり、番組内で森本毅郎氏が中村友美ディレクターと呼んでいたので、TBSラジオサイトに間違いないだろう。番組そのものも聞けるようだが、ただ「radikoタイムフリー」なるものにアクセスしなければならないのが面倒だ。「タイムフリー」を調べたら、「「タイムフリー」機能は、過去1週間以内に放送された番組を遡って聴くことのできる無料の機能です」とある。なんだ、結局、聞けないということが判明した。

www.tbsradio.jp

 「radikoタイムフリー」を使うことができないとわかり、さらにブラウズ。以下のブログに巡り合うことができた。

 放送の書き起こし要約と、「TBS森本毅郎スタンバイ!」のスピーキングテスト報道の箇所だけ切り取ったYouTube(約7分30秒)も貼りつけてある。

 いずれにせよ、7分30秒と短いながら、「TBS森本毅郎スタンバイ!(2022年5月24日)」は、このテストの問題点、その要点がよくわかるので、ESAT-Jについてよく知らない方にはおすすめです。番組には大津由紀雄慶應大学名誉教授が出演している。

kasikoi.hatenablog.com

 次は、「入試改革を考える会」による「都立高入試へのスピーキングテスト導入中止を求める緊急アピール」(2022年5月9日)。

 「入試改革を考える会」の呼びかけ人は、代表が大内裕和氏(武蔵大学教授)。他の呼びかけ人は、宇都宮けんじ(「希望のまち東京をつくる会」代表)氏、鳥飼玖美子(立教大学名誉教授)、前川喜平(現代教育行政研究会代表)ら*4

 その緊急アピールが以下で読むことができる。

 とくにスピーキングテストの点数化のしくみ・換算の仕方の問題点がよくわかるところが秀逸。*5

note.com

 以下は、都立高校入試へのスピーキングテスト導入の中止を求めるChange.org電子署名

 呼びかけ人は、池田真澄(新英語教育研究会会長)氏。江利川春雄(和歌山大学名誉教授)、大津由紀雄慶應大学名誉教授)、鳥飼 玖美子(立教大学名誉教授)ら。

 賛同人に、乾彰夫(東京都立大学名誉教授)、大内裕和(武蔵大学教授)、児美川孝一郎(法政大学教授)、佐藤学東京大学名誉教授)、瀧口 優(白梅学園短期大学教授)、本田由紀東京大学教授)、前川喜平(現代教育行政研究会代表)らが参加されている。

 英語教育や教育についての学識者というべき方々が名を連ねている。

www.change.org

 以下、新英検による署名協力への呼びかけです。(上記Change.org電子署名していただいた方でも以下の署名簿に署名できるとのことです)

 PDFの署名用紙・チラシをダウンロード・印刷してお使い下さい。8月26日締切。9月定例都議会に提出するとのことです。

www.shin-eiken.com

 2022年8月18日に夏の市民集会がおこなわれました。お時間のたっぷりある方は、こちらもおすすめ。

 以下、都立高校入試への英語スピーキングテスト導入見直しを求める夏の市民大集会。

www.youtube.com

 

 以下、新英検のHP。

 上記の集会の紹介もありますが、図でESAT-Jの問題点をわかりやすく説明している。

www.shin-eiken.com

 

 以下、ひとつのアンケートに過ぎないが、リセマム・リシードによるESAT-Jについてのアンケート。2022年7月25日から8月3日まで読者アンケートで、111の有効回答によるもの。

reseed.resemom.jp

 次は、朝日系の教育記事。

 開示請求に応えない開示不可問題、前代未聞の換算方法の問題、テスト問題漏洩のリスクの問題、次の記事には、タブレット端末を使い回す試験体制の問題などが簡潔に書かれている。

www.asahi.com

www.asahi.com

 以下は、中止を求める署名の呼びかけ人のおひとり、大津由紀雄氏のブログから。

www.kotoba1.com

 以下は、スピーキングテストに反対する保護者の方から。

 都立高校入試へのスピーキングテスト導入問題。

 公平・公正でない英語スピーキングテストはすぐにでも中止にすべきものと考えます。

 繰り返しになるが、問題山積みのスピーキングテストについて、7分30秒と短いながら、「TBS森本毅郎スタンバイ!(2022年5月24日)」は、このテストの問題点、その要点がよくわかるので、ESAT-Jについてよく知らない方にはおすすめである。

 ひとりでも多くの人にこの問題を知ってもらい、署名に協力していただきたいと願い、以上アップさせていただいた。

*1:文科大臣も「?」となった都立高入試英語スピーキングテストの構造的問題 | 連載コラム | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス

*2:利権的・売国奴的・差別的、なにより教育的でない都立高校入試へのスピーキングテスト導入の中止を求めます - amamuの日記 (hatenablog.com)

*3:教育的でない、さらに公平・公正でないスピーキングテストの都立入試への導入はすぐ中止にすべきではないですか - amamuの日記 (hatenablog.com)

*4:呼びかけ人は、大内裕和(「入試改革を考える会」代表・武蔵大学人文学部教授・教育社会学)/
 阿部公彦東京大学大学院教授・英文学)/ 宇都宮けんじ(「希望のまち東京をつくる会」代表)/ 紅野謙介日本大学特任教授・日本近現代文学)/ 杉田真衣(東京都立大学准教授・教育学)/ 竹信三恵子和光大学名誉教授・ジャーナリスト)/ 鳥飼玖美子(立教大学名誉教授・異文化コミュニケーション学)/ 前川喜平(現代教育行政研究会代表)

*5:以下、「入試改革を考える会」による「都立高入試へのスピーキングテスト導入中止を求める緊急アピール」(2022年5月9日)より。「また、スピーキングテスト評価の点数化についても疑問があります。中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)は0点~100点で採点した後に、A~Fの6段階で評価します。「80点~100点=A(得点幅21点)」「65点~79点=B(同15点)」「50点~64点=C(同15点)」「35点~49点=D(同15点)」「1点~34点=E(同34点)」「0点=F」と不均等な得点域で分けたのち、A=20点、B=16点、C=12点、D=8点、E=4点、F=0点と4点刻みで配点されます。
   この方法だと、例えば1点しかとれなかった人も、34点とれた人も同じくEに評価されて4点が配点されます。つまり最大33点違っても同じ点数になってしまうのです。また1点はEで4点に換算され、0点はFで0点に換算されますから、1点でもとればテストの結果は4点差としてカウントされます。こうして算出されたESAT-Jの得点は、志望校へ送る「調査書」(=内申書)に記載されます。わずか1点の差が合格・不合格を分ける入試において、このような換算方法を採用することが適切であるかどうかは大いに疑問です。受験生・保護者の多くも、この換算の仕方には疑問を持つと予想されます。」