2004-11-09から1日間の記事一覧
メレメレから車で15キロほど1号線を南下し、帰りがけにランギリリの戦場跡センターに寄ってみた。 休憩としてお茶を飲んだのだが、センターの所長は中東に出かけていて、あいにく留守だった。 このカフェに飾ってあるウィレム=タミハナの肖像画やキャメロン…
次の目的地は、Site 6 Meremere。メレメレ砦である。 コヘロア高地での敗退以前に、ワイレム=タミハナ(Wiremu Tamehana)*1の指導下で、マオリは塹壕を用いてメレメレを防衛していた。 8月から10月にかけて、軍艦パイオニアと小高い丘にあるメレメレ砦とで砲…
Site 5 Whangamarino Redoubt and Te Teoteo’s Paは、なかなか見つけることができず、かなり周辺を走り回ってしまった。 結局、探し回ってみたが、標識を見つけることはできなかった。 再度、小冊子から学んだことを書いてみる。 コヘロア尾根で戦ったマオリ…
ポケノから5キロ南下し、右折してマーサー(Mercer)に入ると、すぐにガソリンスタンドやカフェのある駐車場のついたサービスエリアのような場所がある。 広い駐車場に車をとめて、ここからワイカト川の方に歩いていくと、数分もしないうちに、Site 4-Pioneer …
次の目的地は、Site 3-Koheroa ridgeだが、現在は農場地として私有地になっているようなので眺めるだけにした。 マオリ土地戦争は、1863年7月から1864年4月にかけて闘われたのだが、1863年7月17日、コヘロア砦の南方の高台にいたマオリに対して、キャメロン…
小冊子が紹介する次の歴史的跡地は、ポケノから3キロ下ったSite 2-Eglinton Redoubtである。 オークランドからなら南下だが、ハミルトンから私は北上して来たから、来た道を戻ることになる。 1863年7月12日に、マンガタフィリ(Mangatawhiri)と呼ばれる小川を…
最初の目的地は、Site 1 –Queen’s Redoubt, Pokeno。これは「イギリス女王の砦」とでも訳すのだろう。名前から推測するに、イギリス女王が象徴であり、侵略戦争の「大義」だったわけだ。 ポケノでハイウェイ1号線を降りる。 ハイウェイ1号線を降りて町二入っ…
ネビル=リッチー(Neville Ritchie)によって書かれた「1863年−1864年のワイカト戦争−主な出来事と跡地−」(‘The Waikato War of 1863-64 -A guide to the main events and sites-‘)という小冊子をテ アワムツ博物館にて二ヶ月ほど前に買い求めていたのだが、…