初めての中国

大連港からの眺望

 忙しい教師生活は夏休みといっても忙しい。それでも夏期研修や自分で組んだ旅がこれまで夏休みの時期におこなえたことも事実である。
 それで、自分で旅を組むとなれば、自己研修もかねて、これまでイギリス以外の英語圏*1を中心に回ってきた。「イギリス以外の」とわざわざ断ったのは、イギリス、わけてもイングランドは最後の最後に取っておこうと思っているからである。それでこれまでにイギリス以外の英語圏で私が訪れたり滞在したところは、アメリカ合州国アイルランド、オーストラリア、ニュージーランドになる。
 忙しい時間の合間をぬって、行くなら英語圏と決めていたのだが、それでもここ数年は、シンガポール、台湾、韓国と、短期間だがアジアを訪れる機会をつくってきた。
 それで、今回初めて中国を訪れる機会を得た。
 中国大陸は広い。
 今回の旅は、二点、遼寧省(りょうねいしょう)の大連と瀋陽を中心に訪れる旅である。
 今回は、私の旅の準備の定番である、ロンリープラネットを読むことも、事前の準備らしい準備もほとんどしていない。
 理由のひとつには、忙しいこともあるが、今回の旅は、パッケージツアー参加の旅だからだ。パッケージツアー参加といっても業者が準備する定番パッケージツアーではなく、参加者による独自プランによるものだから、これは充実した内容が期待できそうだ。そうした自主ツアーに家族で参加することとした。
 6日間、大連二泊、瀋陽二泊だから、例によって一回目の中国訪問から、かなりマニアックな旅程である。

*1:英語圏とひとことで言っても、その言語事情はさまざまだ。アメリカ合州国の場合、ネイティブアメリカンを無視することはできない。スペイン語母語話者も少なくない。アイルランドの場合は、ゲール語だ。オーストラリアは、アボリジニニュージーランドの場合は、公用語であるマオリ語など、無視することは不可能だ。

成田から大連へ

 午前出発の便で、時間にして2時間30分くらい。日本と中国との時差は1時間。赤道を越えないから、季節が変わることもない。
 私がこれまで訪れた英語圏は実に遠い。それからすると、当たり前のことだがアジア、とくに今回の遼寧省は近いということだ。しかし距離的に近いということと、距離的に近いその場所をよく知っているか否かは全く別のことである。
 わたしの父母世代は別にして、私の世代は、遼寧省も含めてアジアについて無知であるように思う。勘違いに過ぎないとは思うが、たまたま私は英語の教師をしているから、遠い英語圏の方がまだ知っている気がする。そうした私の世代の次の世代となれば、「アジアの中の日本」という認識がどれほどあるのか、非常に心もとない*1
 さて機内食を食べたと思ったら、もう目的地到着である。時間的には、これは国内旅行の感覚だ。今回の旅は独自のパッケージツアーだと述べたが、大連到着後、日本語ガイドつき専用車で移動することになる。
 ここ数年経験しているアジア旅行で、いつも思うのは、ガイドさんの言語能力の高さである。
 しょせん外国語はむずかしいからリスニングが案外弱いガイドさんがいるが、それでも、ガイドという職業は、仕入れた情報内容を一気に喋り倒さないといけない職業だ。そのエネルギーにはいつも感心させられる。
 今回の旅は大連は王さん(仮名)、瀋陽は若い張さん(仮名)にお世話になる。

*1:シンガポールチャンギミュージアムを訪れたときに、日本人の若い女性が、そこにある展示は嘘だといって信じなかったと、館内説明員が私に語ってくれたことがある。

まずは南山へ

 さて、大連到着後、まず専用車で向かう先は南山である。
 いま大連に着いて南山を一番に訪れる日本人観光客はめったにいないだろう。実際、ガイドの王さんも南山は何もないところですという。
 ここは、大連の南にある小高い山で、市街が一望できる見晴らしのよい所だ。

 日本にとって大連が「満州」の玄関口だった頃、当時の日本人の子どもたちが遠足に来た場所だという。それでも当時の面影はなく、何か新しい建造物を建築するのか、赤土が大きくえぐられるように彫られていた。
 南山には、トンボがたくさん飛んでいた。

大連図書館日本文献資料館へ

 次に向かったのは、大連図書館分館だ。

 この大連図書館魯迅路の分館には、日本に関する文献がそろっているようだが、市民の図書館にもなっている。自然科学や社会科学といっしょに、一般の雑誌を閲覧している大連市民がいた。

満鉄の本社跡へ

 次に旧満州・満鉄関連施設で、満鉄の本社跡を訪れる。

 大連は、「満州」への玄関口であり、この大連に満州鉄道の本社があった。当時、大連には、満鉄関係者がたくさん住んでいたという。当時、日本人の師弟が通う学校もたくさんあり、その子どもたちの親は、満鉄関係者が多かった。
 満鉄は、海運、港湾、鉱山、製鉄、ホテル、病院、学校、図書館、遊園地など、幅広く経営し、単なる鉄道会社ではなかったという認識が必要だ。
 満鉄本社跡の建物は現在も別の目的で使われている。広い駐車場に入る入り口付近に、石碑があり、建物の由来が書いてある。中国語は発音はむずかしいが、漢字文化圏だから、なんとなく感覚で読める。
 満鉄の、今でいえばロゴのついたマンホールが現在も残っていた。

大連港へ

 大連港を訪れる。
 歴史のある大連には、「大連市重点保護建築」というプレートのついた建物が少なくない。いま訪れている大連港にもそうした歴史的な建物がある。
 わたしは戦後の生まれで、完璧に平和憲法の下で育ったから、子どもの頃より戦争の面影はほとんど感じなかったけれど*1、私の母方の祖父は陸軍大佐であったし、父母の世代は、17、8歳で、敗戦を迎えた。
 当時の日本人は、この大連港から中国に入植し、この大連港から引き引きあげたのだ。

 引揚者といえば、子どものときに好きでよく読んだ漫画家のちばてつやさんや、映画監督の山田洋次さん、指揮者の小澤征爾さん、歌手の加藤登紀子さん、岩波ホール高野悦子さん、脚本家のジェームズ三木さん、私の好きな落語家の古今亭志ん生も引揚者*2である。
 だから今回の旅は、私の世代の上の世代の体験から学ぶ旅でもある。いや学ばなければならない旅なのだ。

*1:戦争の面影で思い出すのは、白衣を着て帽子を被り、アコーデオンを鳴らしながら、カンパを募る、戦争で怪我をした兵士の姿くらいだろうか。

*2:引揚者といえば、旧「満州」だけではなく、樺太、台湾、朝鮮半島南洋諸島などからの引揚者を指す。

宿泊は旧ヤマトホテル

 遼寧省は日本から近いから、到着当日から結構動ける。あちこちフィールドワークをしたら、お腹が空いてきた。
 昼は機内食だったが、今日の夕食から中華料理が始まる。その意味で、今回の旅は中華料理の旅でもある。

 中国四大料理といえば、北京、上海、四川、広東料理になるが、今回は遼寧省だから、基本は東北料理になる。東北料理は、北方であるため、味付けが濃いと言われている。
 丸テーブルの真ん中に回す丸いガラスの台があり、そこに料理が並べられる。どれも美味しい。味つけもいいし、脂っこくもない。野菜もふんだんに使われている健康的な食事だ。

 さて、今晩の宿は、大広場に面した大連賓館。昔の名前を大連ヤマトホテルという。ヤマトホテルは、満鉄が鉄道沿線各地に設けた直営ホテルの総称である。
 明日は旅順に向かう予定だ。