その旅順口に万忠墓がある。
万忠墓は、日本人観光客がなかなか来れないところだ。
ここには、日清戦争で、日本軍に虐殺された市民や兵士が眠っている。館内では資料見学をおこなうが、館内での写真撮影は禁止である。表記は中国語以外見当たらないような印象を受けたから、外国人向けの場所ではないようだ。
出口を出ると、万忠墓の碑があちこちに立っている。供養するところもある。
もちろん、この万忠墓も「大連市重点保護建築」である。バスに乗り込んできて見学している中国人が多いが、研修目的ということもあるようだ。
二百三高地を訪れる
日露戦争戦跡としては最大の激戦地である二百三高地を訪れる。
こちらに来て学んだことの一つは、日露戦争というと、日本とロシアの戦争と思っていたが、それは間違いだということだ。実際、この203高地でも、日本側の犠牲者は7500余名、ロシア側の犠牲者は6700余命という。けれども、日露戦争といっても、中国での権益を争っていたわけで、戦地は中国本土でおこなわれていた。この点から、日清戦争はもちろん、日露戦争における中国人犠牲者のことを私たちは忘れがちだ。
標高203メートルということから、203高地と名付けられたが、以前は、数メートル高かったようだ。爾霊山と当て字を使って乃木大将が命名したという。爾霊山とは、「あなたの魂がある山」というような意味らしい。いまは緑があるが、当時は禿山だったという。
203高地の頂上に至る道は舗装されているが、結構な急坂で、駕篭かきがいる。100人民元ほどで乗れるようだが、100元は中国では大金だ。駕篭かきの様子を見ていると、途中で何度か休憩している。それを取り仕切っている親方らしき人物がオートバイで急坂を上ったり降りたりしている。
乃木希典には、勝典、保典という息子がいて、この三人を三典(さんすけ)と言った。裏の方に駐車場に抜ける別な階段があり、こちらに乃木保典の戦死の石碑が木々に隠れてひっそりと立っていた。
旅順日露監獄を訪れる
旅順には、安重根(アンジュグン)が収容・処刑された日露監獄がある。この場所の見学も許可が必要だ。
1909年10月26日、ハルビン駅で、朝鮮の初代総督であった伊藤博文を射殺した安重根は朝鮮の英雄だ。11月3日、旅順刑務所へ送られ、「国事犯」として監禁された。翌年3月26日に絞首刑。32歳だった。ソウルにある安重根義士記念館へは昨年の夏に訪れているので、感慨深い。
この刑務所には韓国人、中国人、そして日本人がいたというが、韓国人にはコウリャン、中国人にはトウモロコシ、日本人には米が主食として与えられたという。
絞首刑をおこなった建物やさまざまな展示物の見学をする。日本が中国に日本語を押しつけた歴史を示すパネルが眼をひく。南山にあった碑も、ここに移されていた。