「3度の面会、浮かぶ厚遇 柳瀬氏「特区関係は加計だけ」」

amamu2018-05-14

 以下、数日前の朝日新聞デジタル版(2018年5月11日05時05分)から。

 加計学園が特別扱いを受けていたのではないのか。10日にあった、衆参両院の予算委員会での審議を通じて浮かんだのは柳瀬唯夫・元首相秘書官が3度にわたって学園関係者と官邸で面会するなどの手厚い対応だった。柳瀬氏は安倍晋三首相への報告を否定したが、野党からは疑問の声が上がった。
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 「加計学園の事務局の方から申し入れがあり、面会いたしました。相手方は10人近くのずいぶん大勢でいらっしゃいました」
 10日の衆院予算委員会参考人として出席した柳瀬氏は冒頭、2015年4月の首相官邸での面会について説明を始めた。淡々とした語り口で続いた答弁から浮かんだのは、加計学園に対する厚遇ぶりだ。
 柳瀬氏が加計学園の関係者と接点を持ったのは、安倍首相の別荘で13年5月にあったバーベキューの際だったという。首相の親族や友人らが集まる中、「加計学園の理事長と事務局の方がいた記憶がある」と述べた。
 2年後の15年2〜3月ごろ、「上京する際にお伺いしたい」との学園側からの申し入れを受けて、首相官邸で面会をした。学園関係者は、愛媛県今治市獣医学部新設を計画しながらも、何度も頓挫している経過を説明したといい、柳瀬氏は「獣医学部新設を、今治市と一緒にやろうと考えていることを認識した」と振り返った。

 (後略)

「武力あるから紛争が…不戦に転じた元中将、肉声音源発見」

 以下、朝日新聞デジタル版(2018年5月14日13時46分)から。

 元陸軍中将で、戦時中は軍の中枢を歩み続けながら、戦後は一転、平和活動に身を捧げた遠藤三郎さん(1893〜1984)の肉声を記録した音源が、福岡県飯塚市の武富慈海さん(69)方で見つかった。庶民目線で戦争の記憶を伝え続ける「兵士・庶民の戦争資料館」(同県小竹町)を開いた、武富さんの父の故・登巳男(とみお)さんが34年前にインタビューし、平和について語り合った。

 収録は84年2月19日に埼玉県狭山市の遠藤さん宅であった。遠藤さんが亡くなる約8カ月前のこと。約2時間分のやり取りがカセットテープに収められた。
 陸軍偵察部隊に所属していた登巳男さんは、42年にインドネシア・ジャワ島に置かれた飛行団で、団長だった遠藤さんと知り合った。遠藤さんは戦後、再軍備反対や日本国憲法擁護を訴え、平和運動に取り組み、資料館館長の登巳男さんとも交流を続けた。
 このインタビューは、慈海さんが知人に会うために上京した機会に、登巳男さんらを狭山の遠藤さん宅に連れて行き、実現した。
 資料館では憲法記念日に合わせて毎年遠藤さん関連の企画展を開催しており、今年も準備をしていた。4月中旬、慈海さんがテープの存在を思い出して探したところ、自宅一室の段ボールの中から見つかった。

(後略)


<遠藤三郎>
山形県出身。関東軍の作戦参謀、陸軍航空士官学校長などを歴任。敗戦を迎えた45年は、軍需省航空兵器総局長官だった。47年2月から約1年間、戦犯容疑で巣鴨プリズンに入所。戦後は農業に従事しながら、日中友好、護憲や反戦などの運動にかかわった。著書に「日中十五年戦争と私―国賊・赤の将軍と人はいう―」(1974年、日中書林)など。


(小田健司)

「エンゼルス大谷翔平、11奪三振 4勝目はならず」

 以下、共同(2018年5月14日09時04分)より。

 大リーグは13日、各地で行われ、エンゼルスの大谷はアナハイムでのツインズ戦に先発し、6回3分の1を3安打1失点で11三振を奪ったが、4勝目はならなかった。1―0の七回に走者を残して降板し、2番手投手が同点とされて勝ち投手の権利がなくなった。チームは2―1でサヨナラ勝ちした。大谷は約1カ月ぶりの3勝目を挙げた6日のマリナーズ戦以来、中6日での登板。打者としては20試合で打率3割4分8厘、5本塁打、16打点をマークしている。(共同)

夕方のご近所のジテンシャお散歩

 ブロンプトンで夕方のご近所のジテンシャお散歩。
 自動車が走っている道路はなるべく避ける。

 ブロンプトンはスポーツ性はないが、安定している走りがブロンプトンのよいところ。
 ブロンプトンでのお散歩は不安がない。
 夕方に1時間ほど走った。