昨日もパーティ

 昨日はめずらしく雨が降り続け、コミュニケーション・スキルのジュディのパーティに出かけた時も雨が降っていた。たまたま、ストリートカーで、スイス人のウルス(仮名)と、同じくスイス人のエリザベスと、デトロイト出身のデレック(仮名)とニューヨーク出身のブラックガイ(仮名)と同席したのだが、金曜日に一緒に、この連中とマージのパーティに行き、一緒に泊めてもらったところだったので、この偶然にちょっと驚いた。
 ジュディの家へ行くと、たくさんの人が床に、椅子に座って喋りあっている。誰と話をすべきか、落ち着かない。アメリカのパーティで一人孤独でいるというのは本当におかしなことだから、パーティでは、誰かと話をしなくてはいけないという義務感が自分をイライラさせる。パーティに来るときは一人でも、帰るときまでに、一通り、たとえ浅くても、話をしなければならない。それが、社交的(sociable)というものだ。そんなことはわかっているが、自分はそんなタイプの人間ではない*1。日本語であれば、自分もsociableのふりはできる。けれど、英語となれば、多分に及び腰になる。こちらが何に関心があるか、どの程度の英語の使い手か、話をしてもつまらない相手であれば、相手はまたどこかに行ってしまう。パーティの参加者は本当に動き回るのが常だ。
 ブラックガイと、黒人運動について語り合った。60年代の黒人運動よりもっと大きな運動がまた始まると言っていたのが印象的だった。こちらでは、日本人としてのアイデンティティを求めていることもあって、黒人的存在(invisible*2に共通点を感じる。ブラックイングリッシュにも親しみを感じる。
 料理を一通り食べ終わると、南米のマージ、エリザベスがやって来た。自分は、セクション6のウルス、マージ、エリザベス、ニコラ、カトリーヌのあたりに座わり、ドイツ人のカトリーヌと話をした。
 カトリーヌとは、フレッドのパーティの時、人種問題を聞かされたっきりで、私たちは教室で話をあまりしなかった。彼女は、私の辛い心理状況をわかってくれているようで、ドイツ女性はプライドが高いが、正義感にあふれるいい人だということが私なりにわかった。
 ドイツでは、9年間義務教育で、そのあとは、大部分の子どもは働きに出かけるそうだ。大学まで進む人はかなりのエリートで、階級が固定化する傾向にあるとのことだ。それはフェアな競争ではない。労働運動は昔から存在している必然的なものであるという。カトリーヌは、政治的にはSocial Democratic Partyを支持している。私は、日本の文化とアメリカの文化とはかなり違うこと。英語をマスターすることは難しいということ。Webster辞書にも、kimono, sake, Zen, Jin-riki-shaぐらいしか日本語の外来語として載っていないことを話し、多分、ヨーロッパ人の方が英語の勉強は簡単だろうと言うと、アジアから比べるとそうだが、それでもヨーロッパとアメリカは違うという。彼女自身、ドイツから来てこの手のパーティも慣れるまで時間がかかったという。カトリーヌの旦那さんは中年のアメリカ人で、いつも一緒にパーティに来る。旦那さんは多少ボーっとした人で、アメリカ人らしくなく、勝手を言わせてもらえれば、とても落ち着ける人だ。
 私を見ていると、昔の自分を見ているようだとカトリーヌは語ってくれた。こんな風にカトリーヌを話ができるとは思ってもみなかった。静かに心が通い合うということは、とっても素敵なことだ。
 周囲の人たちは結構酔っ払ってきて、カトリーヌも私も「みんなでエンバーカデロ(Embarcadero)へ繰り出しディスコで踊ろう」と誘われた。カトリーヌは「ここにいたい」と言って離れなかった。私はニコラに誘われ、15人くらいで私もディスコに出かけた。
 カトリーヌも言っていたが、ディスコも一人で出かけ、帰りには二人で出てくるのが普通だが、ディスコは彼女の好みではないようだ。
 ディスコの帰り、例の黒人二人、スイス人二人の住むアンソニアレジデンスに寄り、上がり込んで話し合った。黒人の一人はアーティストで、ゴッホの絵が飾ってあった。
 帰宅は3時30分になってしまったが、こうした時間もたまには必要だ。実際、実に楽しい時間だった。

*1:後年、わたしの性格もかなり変わったから、タイプを固定化して見ることはできない。

*2:invisibleとは、見えない存在。黒人的存在とは見えない存在である。