言葉の勉強に終わりはない

 語学の道に終わりはない。ある外国人が日本に来て、サバイバルの日本語を学んだとする。一応、一人で歩き回れる程度の日本語だ。ラーメンを注文でき、郵便局で依頼もできる。ある程度日本語もできる。しかし、彼はそれで満足するだろうか。ビジネスマンで一時期の滞在ならそれでも良かろう。他にやることがたくさんある。しかし彼は自らの日本語の実力を、少なくとも知っているし、時間が許せば、もう少し自分の日本語に磨きをかけたいと思うだろう。
 語学の道は絶え間ない。喋れぬのは当たり前。喋れても当たり前。どっちつかずの中途半端が一番いけなく思える。中途半端に知っていても、結果として、あまり役に立たない。努力に努力を重ね、喋れるようになっても、その到達点は、「当たり前」なのだ。語学の道で途中にいる人は、獲得してできるようになった力に満足しない。完全でない自分が常に見えるからだ。当たり前に喋れるようになるまで、このfrustrationは続く。その矛盾を何とか克服しようという気持ちで一杯なのだ。