半年住んだサンフランシスコを発つ

San Francisco

 昨夜は2時頃寝たのに、興奮しているせいか、今朝は7時前に起きた。いろいろ考えたが、ともかくネヴァダ州の賭博のメッカで、ラスヴェガスに次ぐリノ(Reno)に行って、その後のルートはそれから考えることにしよう。グレイハウンドバスのアメリパスでの旅だから、ルートは自由だ。L.A.*1は避けたいので、フィーニックス(Phoenix)に行こうと思う。
 12時45分のグレイハウンドバスでサンフランシスコ(San Francisco)を離れる。イヴォンヌが見送りに来てくれた。
駐車場のバス近くに立っていたバス運転手に、“I’d like to go to Reno.”と切り出すと、 “So what?”(「だからどうした」)という返答。いけない、これじゃまるで会話になってない。「リノに行きたいのですが」と言えば何か教えてくれるだろうと、日本語で考えていた。
 “Is this going to Reno?”(「このバスはリノに行きますか」)と慌てて尋ね直した。

 車中、3人の卒業旅行中の日本人学生3人に会う。
 雑誌Timeに読み疲れる頃、日本で流行しているという松田聖子のカセットテープを借りる*2

 つとめて愛想良くするが、人間関係としてどこまで深入りして良いかわからないので、少々戸惑う。

 途中、隣に座ったアメリカ人のおやじさんと話をする。この男性は第二次世界大戦のとき、New Yorkに行った他は、カリフォルニア州の外に出たことがないという。
 シェラネバダ山脈のこと。シェラネバダ山脈の高さ。この辺は自然が厳しい。昔は開墾で大変だった。今でもtoughだ。リノ(Reno)という名前の由来を聞き、旅行として全米のどこをまわったらよいのか尋ねた。
 砂漠。Cactus tree、サザンパッシフィック鉄道。鉄道建設と中国人労働者の話。リノとラスヴェガス(Las Vegas)の違い。博打はやるより見ていた方がよい。crazy peopleを見ることができるから。
 いろんな話をして楽しいおやじさんだった。「あんたの語学研修でもこの旅が一番役立つだろう。無理をすることだ」という忠告が嬉しかった。
 リノに入る頃は、あたりは暗く、夕方の19時05分になっていた。リノに到着し、握手をして別れた。

*1:L.A.は、Los Angelesの略称。今回の滞在がLAから始めたことと、LAから帰国することからLAにすぐ立ち寄ることは避けたかった。

*2:松田聖子さんの歌手デビューは、1980年4月。1980年8月から俺はサンフランシスコで暮らしていたので、松田聖子さんの人気は全く知らなかったし、興味もなかった。