遊びも大事だとリゾートホテルの暖炉を眺めながら考えた

Vail

 今日は時間をとって、スキーの練習ができそうだ。
 朝、部屋の暖炉で、昨日に続き火を炊く。
 焚き火など、久しぶりだ。
 火を炊くことも少なくなった。昔は路地でも家の中でも火鉢を使ったりして火を炊いたものだが。学校行事でもファイアストームなどの行事は良い行事といえるだろう。
 暖炉は見ていて飽きない。
 火がつくには、燃えるもの、酸素、発火点が必要だ。
 まず、燃えるものがなければ話にならない。次にinput。そして燃え出す時期という節がある。発火点に至るまで、エネルギーを注がなければならない。そして発火は、一瞬の出来事になる。きわめて弁証法的だ。いずれかが欠けても燃えることはない。
 小さいものから大きいものへ、でなければ火はつかない。じっくりと温められた薪があれば燃えやすくなる。でもそれだけでは足りない。湿っていても新しい薪をくべなければ、火は継続しない。古い薪と新しい薪。違うからいいのだ。同質のものばかりではいけない。
 固い話だが、人間の指導・被指導。大人と子ども。自分が勤める職場と、暖炉を見て、いろいろと類推(アナロジー)を考える。
 何か自分でもできそうな自信が少し出てきた。教師になりたての頃は自信がなく悩むことが多かったのだが。
 この何日かは、英語のことをすっかり忘れて遊んでいる。
 人間、遊びも大事だ。