「文筆生活の方法」本多勝一編(1986)を読了した

「文筆生活の方法」本多勝一編(1986)

 「文筆生活の方法」本多勝一編(1986)。初版第1刷は1986年。わたしのものは、初版第3刷のもの。

 本日読了した。

 本書の「はじめに」で本多氏は次のように書いている。

 このような疑問は、しかし私の思いこみかもしれず、誤っているのかもしれません。それを検証・確認するためにやってみた実験の経過が本書というわけです。ここでは大江健三郎氏が中心的役割を果していますが、これはむろん大江氏個人の問題に帰するものではなく、ひとつの典型的事例として、いわば定性分析の対象としたにすぎません。背後には定量的な普遍現象があり、それは日本型社会の特質ともからんでくるでしょう。

 大江氏について私が最初の小さな疑問を感じたのは、ベトナム戦争の最中でした。べ平連(「ベトナムに平和を!市民連合」の略)の小田実などとの会合で大江氏にも会う機会が何回かあり、ベトナム反戦運動には大江氏も協力的でした。ところが、このべ平連の活動に最も熱心に水を浴びせたのは、当時の「週刊新潮」です。ベ平連の主役たちが猛攻撃やスキャンダル暴露の対象にされる。私はひそかに「もし私が新潮社からベストセラーでも出している小説家なら、自分の著書を引揚げることを通告して影響力を行使するのだが」と思ったものです。かわりに出してくれる出版社など、ベストセラーの著者ならいくらでもあります。そして大江氏は、まさにそれに相当する小説家でした。自分の運動仲間たちを猛攻撃する雑誌の出版社から次々と本を出したり雑誌に書いたりして協力し、なにか呵責を感じないのだろうか。これが最初の「小さな疑問」だったのです。

 けれども、この小さな疑問を打消すような大江氏の言動は、その後もありませんでした。むしろ逆に、疑問が大きくなる言動が目立ち、文学者の反核声明にいたって、ついに御当人にこの疑問をぶつけてみる気になった次第です。

 一九八六年一〇月一一日(谷川岳・一ノ倉沢にて) 本多勝一