広大な英語文化圏に対して、アジア文化圏の連帯は大丈夫か

 こうした一大英語文化圏の存在を旅をしながら身体で実感してくると、私の中にアジア人としてのナショナリズム意識が頭をもたげてくることを否定できない。個人的なことを言っているわけではないのだが、イギリス系が世界を牛耳っているのを見るにつけ、さらにはなんだかんだいっても20世紀が英米の時代だったことを考えると、アジアの連帯はどうなっているのかと思うのだ。この一大英語文化圏に対して、アジアは対抗できるのだろうか。アジアの連帯は大丈夫かというようなナショナリズム的な意識がもたげてくるのである。
 歴史的に日本は中国、朝鮮に学んできた。けれども不幸な歴史があり、いまだに連帯意識が充分でない。みずから犯した侵略戦争から教訓を学んで、今日的な連帯をつくりあげるために日本はリーダーシップを発揮しなければならないのに、それがまだ十分ではないのではないか。中国から日本に来て生活したい人たちは増えていると思うのに、歓迎ムードではないどころか、いまだ蔑視や差別がある。広大な英語圏内で、英語もできない日本人が英語を学ぶ際に歓迎(ウェルカム)されないとしたら、いい気持ちがしないだろう。日本語を学びに来ている中国人に対しても歓迎(ウェルカム)でないとしたら、彼らはどんな気持ちになるだろうか。日本人の視野が狭いのは、こうした歴史、教育、言語、情報量のせいではないのか。中国、韓国・朝鮮と、日本はもっと仲良くすべきである。そのためにも教育の課題として、何とかコミュニケーションが取れるようにすべきと痛感せざるをえない。外国語教育は、選択性にして、アジアの言語も含めて、学ばせるべきだ。英語偏重は、今日的課題にそぐわない。
 そう考えてみると、英語を学ぶというだけで大金を出す日本人の考え方は甘っちょろくはないか。こちらの10代の学生たちは、 果物積みなどのバイトをしながら旅をしているというのである。
 日本の常識では、日本という国の国境がそのまま越えがたいボーダーになっていて、「日本脱出」ということ自体がいまだに挑戦的な国なのである。そして教育的というだけで、余裕のある家庭は子どもの外国行きに大金を出す。
 ところで、ニュージーランドでは、虚無感やうつ病に悩まされ、酒やドラッグでこうした閉塞感から逃れようとする若者が少なくないという*1ニュージーランドでは青少年の自殺が大きな社会問題になっているらしく、15歳から24歳の若者の自殺が1996年には144人と1985年と比べて2倍近くに増えているらしい。この原因の分析として、「南半球に浮かぶ島国の住民は、無意識的にいつも閉塞感を感じている」として、「高校や大学を卒業した後、ヨーロッパへと旅に出かける若者は少なくない」が、「帰国後、我が国がいかに孤立した国であるかを痛感し、何もない自分の国に絶望的になる」のではないかと、織間氏が分析している。英語文化圏として出て行きやすいという特徴と、先住民のマオリ民族をのぞいて、移民の歴史からしてみれば、古代・中世を持たないニュージーランドの歴史性が、そこに感じ取れる気がするのである。
 いずれにしても、これからの日本の教育では、私たちが巨大な英語文化圏の本質をもっと知ること。さらに、アジア圏をもっと視野に入れること。そうして、日本のどの部分を大事にし、どの部分を変革しなければならないのか、日本人自身が知ること。さらに、英語圏の「連中」に、もっと日本のことを知らせることが重要ではないかと感じてならない。
 中国の役割が世界的に注目される情勢の中で、日本、朝鮮、中国が、コミュニケーションを未だにきちんと取れないという弱点は、今後の大きな課題と言えるのではないだろうか。

*1:「南半球の島国では自殺する若者が増えている」織間なこ(「ニュージーランド―キウイたちの自然派ライフ (ワールド・カルチャーガイド)」)などを参照のこと。