マオリのコンサートを楽しみ、マオリの問題を少し考えた

 マオリのコンサートの公演時間が近づいてきた。屋外に舞台もあったが、今日は室内でやるという。公演時間になると、客席は満員で立ち見もいるほどだ。コンサートはなかなか充実していて迫力もありなおかつ楽しいものだった。戦さに出陣する際に勝利を願って自らを鼓舞するため、あるいは敵を威嚇するために、舌を突き出し、目玉をぎょろりとさせるハカという迫力ある男性の踊りを見ることもできた。ポイ*1という女性の伝統的な踊りの際に用いる紐のついた小さなボールを使った踊りも優雅で美しかった。
 充実したコンサートが楽しんで、外に出て、みやげ物屋を何軒かまわって、出口から帰ろうとしたときに、出入り口近くの川で子どもたちが数人遊んでいる。牧歌的な風景だなと思って見ていると、子ども達がお金をせびっているような気がした。私の勘違いであればいいのだが、観光客に貨幣を投げてもらうことを要求しているように私には見てとれたのだ。潜水して取るから、投げて、投げてというように聞こえたのだが、マオリの子どもたちの気持ちが、精神的荒廃と無関係であればよいのだがと思う。
 民族的誇りをかけたマオリの闘いは1970年代から高揚してきているように私は聞いていた。例えば、オポティキというマオリの村に二ヶ月間生活をともにした梶谷早栄氏によれば、「先住民マオリの人々が、自らをマオリと呼ぶようになったのは、自分たちとは異質の民族、パケハ(ヨーロッパ系白人)がやってきた後のこと」であるといい、マオリとはマオリ語で「普通の」「通常の」という意味だそうだ*2。ヨーロッパ移民の入植の話は19世紀半ばの話であるが、それ以来、先祖代々の土地、そして母語と民族的な誇りを奪われ、マイノリティに転落させられ続けてきたわけである。合州国の黒人がブラックパワーを叫び始め、ネイティブアメリカンをはじめとする少数民族が声を上げ始めたのと同じように、マオリに「復権の光が差しはじめたのは七〇年代に入ってからこと」であるという。「いったんは消滅の危機に瀕したマオリの伝統芸術や文化が、再び大きく息を吹き返し」、「土地権復活を掲げて行われたデモ行進『マオリランドマーチ』をはじめ、各地で活発化した住民運動は、社会的にも大きな反響を巻き起こした」のだ。「ガ・タマトゥア」(若き戦士たち)による「マオリ語教育推進運動」。マオリ語教育を主たる目的で開始された幼児教育施設で1980年代初頭に初めて設立された「コ・ハンガレオ」、その全国的な広がり。1987年からの「マオリ語運動」と、マオリ語の公用語化。先住民の文化を大切にしようというこうした運動の広がりは、世界の少数民族の復興運動の高揚と同調している。けれども、今後の課題も山積しているという。例えばそのひとつは、「パケハの三倍以上という失業率」であると梶谷氏は指摘する。
 私にはマオリの友人がいないのでよくわからないが、ファカレワレワを短時間訪れて感じた私の印象は、少なからずこうしたマオリの今日的な課題と重なってみえた。
言語の問題でいえば、マオリ語という母語を大事にしながら、英語もやってやるという二言語話者の立場が重要であるに違いない。放置すれば、英語がどんどん日常生活に入ってきてしまう。英語を一切禁止している小学校がすでに出現していると聞いたこともある。日本人が、母語である日本語を大切にしながら、英語もやってやるという立場が、少なくとも植民地的でない言語教育だと思うが、日本人が自立した外国語教育を考える際にマオリの言語問題を学ぶことは重要ではないのか。経済的な課題でいえば、自らの力で自立できるよう、マオリの要求をひとつずつ実現していくことが肝心だろうが、民族の誇りを軽視するようなことがあってはならない。