ラミントン国立公園をめざす

ラミントン国立公園

 荷造りをすませ、用事を済ますために、町に出る。
 ATMで金をおろし、セブンイレブンで本物のジュースを買ったついでに、プラスチックのフォークをもらって、ジョージスクウェアのベンチで昨日のチャーハンの残りを食べる。プラスチック製の弁当箱に昨日のチャーハンがぎっちりとつまっている。あのキングオブキングズは、本当に安い!今日の朝飯まで浮いてしまった。
 今日でブリズベンを去るので、お世話になったグローバルゴシップというインターネットカフェともお別れだ。ここは本当に機能的でいいカフェだった。お世話になったグローバルゴシップで、「今日でお別れです」("I’m leaving.")となじみになった男に言うと、「見捨てないで。行かないで」("Don’t leave me!")と、冗談で返されてしまった。これからラミントン国立公園(Lamington National Park)に行くんだと言うと、「それはいいね」と言われた。
 荷物をコロコロ転がして、バスの発着所に向かう。ブリズベンを再訪するにしても、ブリズベンには一人では来たくない。今後ここに来るなら集団で来た方が楽しめそうだ。ブリズベンはそうした街だろう。バスの発着所に着いて、Allstate Scenic Toursのコーナーに行くと、体格のよいオーストラリア人が受付にいる。「バスは9時半に出るんだよね。トイレに行っても構わない」と聞くと、受付と思った体格の大きな男が、「俺が運転手だから置いていかないよ」と言う。なんだ受付の男かと思ったら、あんたが運転手なのという感じで、用を済ませに行く。バスに乗り込むと、赤毛若い女性が一人だけバスに乗っている。私が乗り込んでからは、中年女性二人が乗り込んできた。客はこの4人だけで、バスは出発となった。
 ブリズベン市内の建築物を説明しながら、ゆっくりとバスは進んでいく。すでにブリズベンは歩き回っているので、説明は大体わかる。ただ、彼の英語はちょっと難物!乗客は、シドニーからの二人と、赤毛若い女性はラミントン国立公園でときどきハウスキーパーとして働いているとのことだった。市内であと一人中年の女性をひろいあげたが、日本からの観光客は私だけで、客は全部で5人となった。
 市内を離れ、ゴールドコースト方面に向かう。1時間30分ほどで、カヌングラ(Canungra)という町に着き、小休止。町中には、小学校などがあるが、陽射しが強いのか、2階に教室があり、1階は日陰になっている。休憩時間らしく、その1階のオープンスペースで子どもたちが休んでいる。大体このクイーンズランド州の伝統的な家の建て方は家屋に足をつけて、2階に家屋をつくるのが伝統的のようだ。この建て方は、スペースがないと隣どうし日陰になってしまって陽があたらなくなるので、最近は段々作らないようになっているらしい。で、この町は暑い!
 バスに乗り込む前に、木陰のベンチで乗客が休んでいる。「ここまでの道のりは退屈だったし、ここはまた暑いね」と、ハウスキーパー赤毛の女の子に言うと、「これからの道のりは、段々高度をますので涼しくなるし、楽しくなるわよ」と言う。「それじゃ、期待しよう」と、私は彼女に言って、バスに乗り込んだ。それからの道は本当に高度をかせぐための道路で、日光のいろは坂のサイズを小さくしたような感じでバスはすすむ。実際ドライバーも、コアラを探しながらゆっくりと登っていく。これから行くラミントン国立公園のオライリーの宿(O'Reilley's Guesthouse)は、アイリッシュ移民が苦難と努力で開拓したところなのである。1911年頃からの話だ。熱帯雨林の林の中を客が泊まりに来るわけだが、現在のように便利なわけではなかった。洪水もよく起こって、水浸し状態のところを馬で行ったり、車が通るようになっても自動車が水浸し状態になることもしばしばあったという。
 対向車がぎりぎりしか行き交えないようなそんなオライリーが開拓した道路をゆっくりとバスは進んでいく。実際、あとで、開拓史のスライドショーや当時の新聞なども見せてもらったが、車で行けるだけで、感謝しないと行けないような所なのである。これなら、空港までの帰りの特別ハイヤーが高いのも仕方がないのだろう。