奥さんのジュディ

 この家の奥さんであるジュディとは、初日、アレックスがゴルフに行き、ジュディがゴルフから帰ってきてから、サンルームでいろいろと話をした。四人の子どものこと。孫の結婚予定のこと。近隣住民のこと。ゴミは1週間に一度、月曜日に出すこと。コーンポストがあり、生ゴミは庭のコーンポストに入れること。
 夕食もすでに二回いただいた。彼女は、とても料理上手である。
 初日はローストチキンと、ポテト、サツマイモ、カリフラワーなどのふんだんの野菜。カリフラワーなどは庭でとれたものだ。次の日の日曜日は、タンドリーカレー風のチキンと味つけが濃い目のチャーハンで、とても私の口に合った。ジュディは、ニュージーランドでは日曜日はそれほど凝って料理はしないものだと言った。おそらく昨夜の残りのチキンをインド風に味つけして、それにフライドライスをつけたのだろう。なんとも合理的だけれども、配慮がいきとどいている。
 すでに、冷蔵庫とは別の冷凍庫(フリーザー)をアレックスにもジュディにも見せてもらったが、コンビニエンスストアのアイスを入れるボックスほどの大きさがある。ここに、ステーキ用の肉をはじめ、たくさんの食料品が収納されている。「これなら商売ができますね」と私は言ったのだが、レンジやオーブンを主に使って料理をするのだろう。うちにも電子レンジ・電子オーブンがあるが、中に入れる肉などの規模が違う。
 食事をするときは、テーブルにテーブルクロスを敷いて、プレート板と口をふくナプキンを置き、スプーン・フォーク・ナイフを置いて食べる。いわば食事の際のパターンと「決まり事」がある。
 アレックスとジュディの三番目の娘さんクリスティーンと2人の幼い子どもニコラ(仮名)とイアン(仮名)が昨夜から来ていて、今朝は、一緒に朝食をとったのだが、トーストにマージェリン、あるいはマージと発音するマーガリンを塗って、そのうえに、アボガドをぬって食べている。前の日本人留学生でパンにマーガリンもバターも塗らずに食べている学生がいたと話題にしているから、彼らからすると、トーストにマーガリンもバターも塗らないのは余程変なのだろう。
 食事といえば、「ニュージーランド人は、マーマイトというオーストラリアのベジマイトに似たパンにつけるペーストと、ベータミックスというシリアルの二つで育つという話を聞いたことがあります」と私が言うと、「そうなのよ」とジュディが笑って言った。ただ、クリスティーンによると、ニュージーランドのマーマイトとオーストラリアのベジマイトは、かなり違っていて、彼女はベジマイトのファンだという。私は、マーマイトはベジマイトと同じようなものだと思っていたので、「かなり違う」というクリスティーンのコメントにはちょっと驚いた。こうしたことはやはりホームステイをしてみないとわからない。
 彼女は、オークランドに住み、広大な敷地に牛を飼い、牛乳をとっているという。2人の子どもはまだ幼いのだが、子どもたちが椅子にから立ち歩くと、優しく諭して注意するし、椅子で立ち膝をすると、同じく注意をする。テーブルマナーのしつけは、子どもの時から優しく厳しく躾(しつけ)ている。これも彼らの文化のパターンだ。
 今回、私自身、これまでのような旅行者ではなく、Homeと呼べるような場所を得られて、安心して暮らせることに感謝しているのだが、「家(home)に帰るのは、嬉しいものですよね」と言うと、「短期間ならね」とクリスティーンは笑って答えた。それに、「ここはもう(私にとって)homeじゃないの」と、彼女はきっぱりと答えた。やはり彼らは、我々のようないつまでも糸をひく納豆民族でなく、ドライな甘納豆民族だ。べたべたとくっつく(sticky)のではなく、一人ひとりが、ドライで乾いている単体だ。彼らはそのように行動しないといけないカルチャーで育てられる。
 彼らの話し方、子供への接し方は、独立心を養うために、一定のパターンがある。たとえば、子どもの立場からすると、母親から「忠告」「警告」を経て、それでも聞かないでいると、”please”と言われる。このpleaseを言われる段階になると大変だ。このpleaseは、ニュアンス的に「恫喝」に近いものがあるかもしれない。
 たとえば昨晩、長女はスパ(風呂)に入りたいとダダをこねたのだが、風邪気味の彼女を気遣って母親はそれを許さなかった。私の前では泣かずに、我慢に我慢をかさねて、おじいちゃんとおばあちゃんにお休みのキスをしにきた彼女が我慢しているのが私にもわかる。さすがに私にhug and kissはしないが、私が、「ぐっすりとお休みなさいね(sleep tight)」と言うと、きちんと挨拶を返した。彼ら流儀の躾のパターンを徹底しているのだ。日本は、この辺が、ぐちゃぐちゃで、昔流儀の躾の仕方を壊したのは仕方ないとしても、新たな定型を模索中のように思えてならない。
 台所での洗い物もすでに3回手ほど伝った。クリスティーンから、「お宅は、電動食器洗い機(dishwasher)はあるの」と聞かれて、「あります」と答えると、「この家には食器洗い機がないけれど、子どもたちはみな食器洗い機を使っているの」と言って笑った。
 食器の洗い方だが、シンクにお湯をためて、洗剤を入れ、食器をその中につけて、黄色いうすい布で洗い落とす。白いプラスチック製の60cm四方の板に、次々に置いていく。それを別の人が拭いていき、所定の場所に食器を納めるというものだ。
 ガイドブックなどによく、ニュージーランド人は食器を洗剤につけて洗った後よくゆすがないと書いてあるが、お湯を使っている場合、よく拭けば、気持ちが悪いというほどではない。
 今は休み中で、クリスティーンたちは、いわば里帰りをしているわけだが、子どもが学校に行っている際には、彼女はボランティアで、読み書きの手伝いをしているという。そもそも私のパートナーも私も教員だし、もし別の仕事だったにしても、おそらく多忙で、学校で自分の子どもの勉強の姿などあまり見ることはできなかったろう。私の場合、たまたま平日に休みがあって、授業公開日や保護者会に出かけたことがあったが、子どもの様子をじっくり見るのは、そもそも無理だ。彼女も、いわば共働きなので、保育所(daycare centre)に子どもを預けたり、日本でいえば、学童保育のような放課後に面倒を見てくれる場所があるので、夫婦ともに大体夕方の5時ごろまで働けるという。こうした社会制度の点は、おそらくニュージーランドの方が断然整備されていることだろう。
 ところで、道路だが、私が以前旅行した際に感心したことのひとつは、こちらの高速道路が無料であることだ。そもそも税金でまかなっていることも事実だが、無料というのは精神衛生上いい。ニュージーランドでは無料の高速道路ばかりかと思っていたら、オークランドには一部有料道路があるという。多くは無料だが、オーストラリアはもっと有料道路があるそうだ。そしてニュージーランドでも、そうした有料化の流れがあるという。「それは是非やめるべきですね」と私が言うと、そうなのだけれど、有料化する動きが予想されるとのことだった。
 今日は月曜日。霜がおりていた。確かにこれは冬だ。日本のお正月の季節の天候を思わせる。しかし寒いけれども、すがすがしい。冷え込んでもいるが、太陽がそそぎ出すと、暖かくなる。私は、パートナーの実家で長年大切に扱われてきたが、もてなしも天候も、そんな実家に帰ってきたようなものだ。季節は、日本の正月の里帰りの雰囲気に近い。
 さて、今日から授業が始まる。長年、教員の経験を積んできたので、学生の立場になるのは久しぶりだ。今日は、これから銀行に寄ってから、大学に向かうことにする。大学で学費を納めてから、いよいよ最初の授業になる。