ジュディから少しだけ政治談議を聞く

新しくとりつけられた電話回線

昨日の朝食の際に、ジュディと食事をしながら、ニュージーランドの政党について少し聞いた。
ニュージーランドの現首相は女性のヘレン=クラークである。現在のニュージーランドの政党で、大きい政党は、ナショナルパーティと労働党だ。ヘレン=クラークは、この労働党の代表でもある。今私がお世話になっているホストファミリーのアレックスは、建築物の内部のエンジニアリングを担当してきていて、いわば労働者だったし、ジュディも政府のために一時働いたことがあったというが、やはり労働者だ。だから、ジュディは一貫して労働党を支持してきたという。その理由は、労働党は労働者の要求をけっして裏切らないからだと言う。
 一方、ナショナルパーティは、大企業の味方で、ビジネスマンに人気があるとのことだ。大型開発プロジェクト志向でもあるらしい。
 ヘレン=クラークは、マオリに味方し過ぎる点や、合州国で言うところのunionと呼ばれているゲイやレズビアンの「結婚」にも進歩的な態度を取っているらしいけれど、そうした点に関しては、ジュディは彼女についていけないという。そうした支持できない点はあるけれど、労働者の要求を裏切らない労働党を一貫して支持してきたという。また、「人間的にもヘレン=クラークはいい」とジュディは言った。
 「すると、ナショナルパーティと労働党の政策の違いは市民にとっては明確なわけですね」と私が聞くと、ジュディは「その通り」と言った。
 ところで、ジュディは、ニュージーランドマオリに対して一貫して批判的だ。彼女に言わせると、マオリは、基本的に欲張りではないかという。いろいろなものが返還されてきているのに、「もっともっと」と、さらにマオリが要求しているからだという。マオリ政策にかなりの税金が使われているのに、要求し過ぎだと不満げだ。もちろん、教育があり、紳士的で、エリートのようなマオリもいるけれど、大多数のマオリは貧しく、躾がなっていなく、牢屋に入るものも少なくないと、彼女は本音を言った。だから、応用言語学やコンピュータで言語を学ぶCALLというプログラムと同時に、マオリ語を学んでいる私に対して、「あなたは、とっても勇敢だ」(””You’re brave.)と私に言った。私は、これを褒めコトバとは受け取っていない。「よくやるわね」といったニュアンスが感じ取れるからだ。
 「パケハ」(pakeha)という「白人」を意味するマオリ語があるのだが、これを私はニュートラルで、差別的な(derogatory)ニュアンスはないと私は考えていたが、ジュディに言わせると「パケハ」なんてとんでもないと言う。差別的なニュアンスを感じるし、マオリはそうしたニュアンスを込めて使っているのではないかと言う。
 この4月にロトルアを訪問した際に、ファカレワレワという、大間欠泉(カイザー)が噴水のように出る有名なマオリ村の「観光地」を私は訪問していたが、マオリの子ども数人が池に飛び込んで遊んでいて、観光客からお金をせびっていた光景を私は思い出していた。その話をジュディにすると、「よく気がついたわね。悲しいけれど、それが現実なの」と彼女は言った。ジュディは、「英語なら世界を相手にできるのに、なんでマオリマオリ語に執着するのかわからない」という。ジュディの生まれ育った故郷、マオリ語でいうところのタラナキ山だって、昔の「イギリス語名のマウントエグモンドでいいではないか」というのだ。
 タラナキ山は標高が2518メートルの日本の富士山に似た美しい山である。この家の長女が現在、教師夫婦としてタラナキに住んでいて、家のリビングにも、タラナキの山の絵が飾ってある。タラナキは、かつては英語名のエグモンド山と呼ばれていたが、1986年にマオリ語のタラナキが正式の名称になった。日本でいえば、北海道の地名がアイヌ語による地名が多いように、「長く白い雲のたなびくところ」という意味のアオテアロアニュージーランド)では、1980年代よりマオリ語の地名が復活してきている*1。私はこうした動きに賛成だから、ジュディとは全く意見が合わないけれど、お世話になっている手前もあって、継続的な反論はしなかった。

*1:現在私が住んでいるハミルトンは英語名で、マオリ語でいうならキリキリロアになるが、マオリ語のクラス以外では、ハミルトンという名称が優勢で、キリキリロアに戻る気配は今のところ感じられない。