「言語教育と応用言語学のための辞書」を読む

応用言語学の辞書

 今日は日曜日。
 とてもいい天気なのだけれど、応用言語学の課題2の締切りが明日の朝までで、担当教授に電子メールで提出しないといけないから、家にこもって課題を書き上げないといけない。テーマは、名詞の「数えられる」「数えられない」という単純なものなのだが、単純ゆえに奥が深い。
 アマゾンで注文した"Dictionary of Language Teaching & Applied Linguistics (3rd Edition)" Jack C.Richards/John Platt/Heidi Platt(Longman)は、応用言語学の担当教授のお薦めの一冊だ。いわゆるレファランスブックなのだが、ながめているだけで結構楽しい。長年のベストセラーみたいで、私が入手した奴は、1992年度版だが、初版は1985年になっている。
 この辞書で、「数えられる名詞」(countable noun)をひくと、also count nounとなっていて、「単数形と複数形の両方をもつ名詞("a noun which has both singular and plural forms")と定義されていて、私はうなった。続けて、"For example: word-words, machine-machines, bridge-bridges"と例が紹介されている。どこに感心したかというと、他に一切の説明がされていないことに私は感心したのである。
 さらに続けて、「通常は複数形で登場しない名詞を不可算名詞、あるいは質量名詞という」("A noun which does not usually occur in the plural is called an uncountable noun or a mass noun.")と定義され、続けてその例として、education, homework, harmが紹介されている。
 この質量名詞は、われわれ日本人にとって理解がむずかしいものの一つだろう。「宿題」と日本語で考えれば、何故数えられないのか理解する方がむずかしい。「数学の宿題と生物の宿題が2つ出ている」でいいではないかと考えるのが普通だ。ところが、これは日本語で考えているからそうなるので、このイギリス語のworkという単語で考えると、「なるほど、数えられないな」と認識するのだけれど、誓ってもいいが、ここに至るには相当の年数がかかる。
 難癖をつけさせてもらえるなら、これはイギリス語を母語とする人たちのご都合主義なのだ。彼らの見方を尊重しないわけではない。それはそれで立派な一つの見方である。しかし、それは、一つの見方でしかないことも事実である。つまり、その見方が唯一絶対ではないのだ。その辺を、イギリス語を話す人たちは自覚しているのだろうかというのが、まず私の言いたいことである。また、学習者も、countable, uncoutableというのは、単にひとつの見方であることを自覚したほうがいい。
 数にやたらとうるさいくせに、なぜ彼らは「羊」や「魚」を数えないのだろうか。何故「サムライ」を数えないのだろうか。
 憤懣やるかたないのだけれど、アテネオリンピックも毎日放映されているので、なかなか課題の方がすすまない。この辺のことをうまく言語化しないと、私の憤懣だけで終わってしまう。とにかく、なんとか今日中に間に合わせないといけない。