こんな具合だから、ニュージーランドは、普段はひっそりとしている。
一見すると何も起こっていない感じがするのだが、前に紹介したアラジンの劇のように、夜に地元の中学生が劇をやっていて一般市民や保護者が集まったりしている。私がこれから受けようとしている市民講座だって、毎日のように、夜の7時から9時まで、各高校で開催されている。
アラジンのような劇は、もちろん保護者のネットワークを通じて、そして市民講座は、新聞や市民のための新聞を通じて知ることになるようだ。また、市の広報で配られるものに、催し物や選挙のお知らせをする「シティ」という配布物がある。ワイカト大学(The University of Waikato)とケンブリッジのエイトの試合を私はこれで知った。
ワイカト大学(The University of Waikato)の場合は、インターナショナルスチューデント向けに、電子メールが送信され、いろいろな催し物の案内をしてくれる。私は忙しいので参加したことはないが、軽スポーツの会や、大学構内での食事会などもある。
「必要にして充分」というのは、ニュージーランド理解のキーワードのひとつと私は確信しているけれど、広報・情報に関しても、ニュージーランドは、まさに「必要にして充分」なのである。