好きな音楽家の仕事場に一日足を踏み入れることができた

レコーディングスタジオの会場

 にわかには信じがたいかもしれないけれど、実は、ある音楽家のレコーディングセッションにつき合えるという話が急遽持ち上がって、突然ではあるのだけれど、はるばる私は今回アメリカ合州国まで出かけていくことにしたのだ。
 私は音楽関係の仕事をしているわけではない。これは全くの個人的趣味からのことだ。
 前にも書いたように、用心深く臆病ですらある私は、いまアメリカ合州国に行くことは危険であるとすら思っているのだが、「ある音楽家のレコーディングセッションを見るために合州国に行きます」なんていう理由を、もし私が説明したら、確実に変人だと思われると思った私は、ホームステイ先のアレックスにもジュディにも何も伝えずに、友達に会いにいくとだけ伝えてニュージーランドを離れた。
 大体ジュディは、たまにエレピを弾くようだけど、基本的に音楽よりもゴルフだし、贅沢は敵と思っているような節があって、お金の使い方としては今回の私の旅など、全く理解できないだろう。
 ジュディと私は考え方や感じ方が違うけれど、彼女に正確に言わなかったのは彼女の考え方は尊重されるべきと思っての配慮からのことだ。
 「合州国は危険だから本当は行く気がしないのだけれど」と、まわりのキーウィーやアジア系の友人や知人に伝えると、なぜという顔をされ、ロサンゼルスに行けるなんてと、逆に羨ましがられた。
 こうした経緯で、前からメールのやりとりをしているうちの一人であるアメリカ人・ディックの車に便乗して、レコーディングセッションの会場まで一緒に行くことになった。
 ロサンゼルスのレコーディング会場はやたらと大きな施設の中の一部で、入口の検問はやたらと厳しく、運転手のみならず、私のIDも求められた。運転をしてくれている知人のディックに、「運転免許証で大丈夫かな」と私が聞くと、「大丈夫でしょう」と言うので、何も考えずに私は自分の免許証を渡した。
 私の免許を受け取った体格の大きな黒人の警備員は、首をかしげるような様子で受付に向かって行った。「なんだろ、これは」とどうせ思っているのだろうと勝手に推測していたら、受付まで行かずに引き返してきた。
 それで理解できたのだが、彼に渡したのは国際免許証じゃなくて日本の免許証だったから、彼としては全く読めず、全く意味がないものを渡してしまったということに初めて気がついた。
 「それじゃこれで」と次に私が渡したのはワイカト大学(The University of Waikato)の学生証だ。ニュージーランドの大学だけれど、これならイギリス語で書かれているから大丈夫だろう。私は、ディックに、「意味のないものを渡しちゃった」と言って、互いに笑った。
 受付を無事に通過し、やたらと広いけれど、とても低い天井が気になる駐車場に車を置いてから、われわれはレコーディング会場入りした。
 「入国の際に指紋は取られるし、こうしたものものしい警備はやはり9・11からのこと」とディックに聞くと、「たしかにあの9・11から自由に出入りできるスペースはかなり制限されてきたね」とディックは言った。
 会場はもちろん、演奏するスペースと、録音する場所とにガラス越しに別れ、録音する側にはこれまで見たこともないような巨大なミキサー、録音機材、モニター画面がいたるところに設置され、つまめる程度の食べ物や飲み物がうしろに置かれ、録音側と演奏者との連絡も当然おこなえるようになっている。
 今回のレコーディングセッションは、バンドといってもかなり大掛かりで、演奏者は総勢60名以上はいるだろう。女性コーラス隊だけを数えてみたら15名もいた。こうした大掛かりなレコーディングセッションだから、ミキサーは、一人一人の音のレベルチェックを入念にやっていた。
 われわれの仲間のポール(仮名)が来ていた。
 ポールは、ロサンゼルス郊外に在住しているが、仕事の関係で、ニューヨークから飛行機で飛んできたという。だから、われわれ男性三人は、ロサンゼルスでおこなわれるこのレコーディングセッションのために、ディックはカンザスから、ポールはニューヨークから、そして私はニュージーランドオークランドから、わざわざロサンゼルス入りしたということになる。
 テイクを取っては、みんなで聞いて、もう一度やり直すかどうか、議論をして仕事をすすめる彼の仕事場は、テイクについては厳しいチェックがされるが、集団の作業場だから、みんなをなごませながら仕事をすすめ、雰囲気はかなりリラックスしている。そもそも私のような者でも、テイクの合間に演奏者側に移動して聞いていても大丈夫なくらいなのだ。
 こうして10時から午後1時まで、そして午後2時から4時50分くらいまでレコーディングセッションにつき合うことができた。
 自分の好きな音楽家と握手をすることができたし、彼の仕事場を丸一日覗き込むことができたのだ。それも同好の合州国の友人たち、ディック、ポール、ジェニーと一緒に見ることができたのだから、昨日が素晴らしい一日であったことは言うまでもない。
 レコーディングディレクターやミキサーとも挨拶を交わしたが、私がこのレコーディングセッションのためだけに、そもそもは日本から、実際はニュージーランドオークランドから、わざわざロサンゼルスに来たということに驚いていた。私だって、驚いているくらいだから、彼らが驚いても当然のことかもしれない。
 その後、レコーディングセッションには来なかったロサンゼルス在住のジョン(仮名)も含めて、ポール、ジェニー、ディックと、4名のアメリカ人と食事をともにした。
 一度はジェニーの誘いを断ったのだが、はるばるニュージーランドから来たかいがあったというものだ。