ワイタンギ・デーに関する報道をTVNZで見る

カワカワにあるトイレ

 これはすでに昨日の朝のことだが、モーテルで1チャンネルのTVNZをつけていたら、ロンドンの集会でネルソン=マンデラが演説している姿が報道されていた。
 もちろん、ニュージーランドがイギリス系であるということはある。だから、イギリス系の報道が多いのもわかる。
 けれども、こうした人権のための闘いに関する報道が、日本でほとんどされないというのは一体どうしてなのか。
 「日本は報道したろうか」と疑問形で書こうと思ったが、私は知っている。おそらく日本じゃ、この手のニュースは報道していないだろうということを。そして、そうしたニュース報道がされない分、人権意識の低い国に日本はなりつつあるのだろうし、実際に人権保障のレベルが低い社会なのだろう。悲しいけれど、それが現実だ。
 同じくTVNZで一昨日、抗議のために銃を持ったマオリについて法治国家として放置するのかと国会で議論していたが、ワイタンギについて、昨日の朝、TVNZのブレックファースト(Breakfast)でまた報道していた。
 ニュージーランドは、二つの文化が一体全体共存しえるのかという実験をしているような国だ。
英語では文化という単語のcultureは普通、複数形にはならないけれど、1個1個別の文化となれば、これは数える名詞となる。
 テレビでも、two cultures to coexistと言っていた。「共存する二つの別の文化」というような意味合いだろう。もちろん、これはヨーロッパ系白人とマオリのことを指している。
 ところで、キーウィは、白人とマオリの問題に飽き飽きしている面があるようだ。
 ワイタンギ・デーで、あれこれ議論を続けるのは、時間と金の無駄だという意見があるけれど、この意見は多少消極的だけれども賛成する人も多いでしょうとブレックファーストのいつもの男性司会者がコメントしていた。
 また、多くの人が、ワイタンギ・デーをニュージーランド・デーと、その名称を変えることを望んでいると続けた。
 実は、ワイタンギ・デーは一時期、ニュージーランド・デーと名称を変更した時期があったが、1年間ほどで、再度ワイタンギ・デーに戻った歴史的経緯があるのである。ワイタンギ・デーそのものの評価が、歴史的に変遷してきているのである。
 だから、日本語のサイトでワイタンギ・デーを、日本の「建国記念日のようなもの」とか、「憲法記念日」のようなものというコメントをインターネットでたまたま眼にしたことがあるが、これらは全く的を射ていない。
 TVNZのブレックファーストを続けて見ていたら、クローディア=オレンジ(Claudia Orange)がインタビューのゲストとして登場してきた。
 これには、ちょっと感動した。
 彼女の著作「ワイタンギ条約」は、マオリの基本文献のひとつであるから当然私も持っているけれど、彼女の顔を見るのは初めてのことだったからである。
 それで、ワイタンギ・デーはニュージーランド・デーと名前を変えることなく、ワイタンギ・デーでよい。それは、歴史を踏まえた名称であるからだと、クローディア=オレンジは明確に答えていた。
 インタビューはさらに続いて、メディアでは、プロテストばかりが目立つが、実際のワイタンギではそんなこともない。子どもたちは楽しく遊んでいるし、伝統的なワカに乗ったりと、ワイタンギ・デーは、プロテストだけじゃなくて、たくさんの人々が楽しく祝っている。毎年自分はワイタンギに行っていると、クローディア=オレンジはコメントを続けた。
 彼女の強調していたことは、1970年代、マラエで議論が盛んに行われたが、自分達の国はユニークな国なのだ。二つの文化の共存を求めた自分達の努力と実際の進歩を祝うべきだと、クローディア=オレンジはコメントをした。
 これまで、これは何度も書いてきたことだけれど、1チャンネルの政治的立場は、極めて穏健なものである。
 日本のメディアは知識人や研究者をまともに使わないと前から思っていたが、ニュージーランドのテレビを見ていて、ますますその感を強くしている。
 大変残念なことにと私はあえて書くけれど、知識人や研究者をきちんと使わないという点において、日本のメディアのレベルはけっして高くない。