ワイタンギ・デーのデモ行進

 歩き始めると、少し小雨がぱらついてきた。
 橋を渡って、マオリのアクセサリーを売っている通りの露天商に、ワイタンギ条約について聞いてみると、「1835年の独立宣言が重要で、1840年のワイタンギ条約は、それとは別に考えないといけない」と、この露天商のマオリ男性はワイタンギ条約について無関心でも無知でもなかった。
 道路を行進しようとするマオリのデモ行進の隊列は、結構の人数である。
 まさに老若男女という構成で、子どもや十代の若者も少なくない。空には数多くのマオリ党の旗が風にたなびいている。
 垂れ幕には、MAORITANGA Est in AOTEAROA since 950 B.C. (BEFORE COOK)とある。「紀元前950年」(950 B.C.)かどうかは知らないが、クックの到着以前は、アオテアロアアオテアロアであったことは間違いない。
 デモ行進の前に、女性が一段高いところからメガホンをもってデモ隊に向かって演説を始めた。
 英語圏の人間にしても、このマオリにしても、演説を重要視している文化であることに変わりはない。家族どうしの情報交換にしても、町中での挨拶にしても、口頭によるスピーチをものすごく大切にしている。だから、いい演説家も育つのだろう。
 大変残念なことに、最近の日本は、いい聴衆が少なくなってしまった。だから、いい演説家が育たない。いい政治家が育たないのもそのせいだろう。落語だってそうだ。いい聞き手が少なくなったから、落語家のレベルも相当に落ちてしまったのではないだろうか。
 高いレベルの話術は、高いレベルの聞き手の存在が大前提だ。
 大変残念なことに、奴隷的に働かせられている日本は、政治家の演説を聞いているゆとりも、落語や風刺など、面白い話術を文化として聞いている暇もなくなってしまった*1
 日本における聞かせる文化の衰退は、嘆かわしい限りだ。
 デモの隊列の中で行進しているマオリ男性が、見ていないで一緒に行進に参加して下さいと沿道の見物人に対して訴えている。
 「ヒーコイ」(行進しよう)とか、「タヒ・ルア・トル・ファー」(1、2、3、4)という掛け声に合わせて、デモ隊の隊列は、ワイタンギの広場へと向かう。
 マオリシュプレヒコールは、ラップのノリだ。

*1:ザニュースペーパーの舞台を一度だけ私は見たことがあるが、こうしたコントグループには、さらにもっと頑張って欲しいと個人的に考えているが、そのためには、もっとより多くの聴衆が見に行かないとダメだ。