マオリの女性弁護士のスピーチに感銘を受ける

 そうこうしているうちに、マラエ(Meeting House)前で、集会が始まった。
 このスピーチが長いのがマオリ流だ。「マオリはスピーチが長くてね」とこぼしていたマオリの友人がいたくらい、マオリのスピーチは長い。
 またマオリは唄がうまい。訓練された合唱隊でもないのに、集会に集まった人々のコーラスのレベルには実に素晴らしいものがある。
 たくさんの人々がスピーチをしたのだが、もちろん集会はマオリ語ですすんでいく。そして、こうした演説者は男性ばかりである。
 マオリのある男性の声量がか細く、ほとんど聞き取れないスピーチに代わって、女性が立ち上がった。集会はマオリ語であるが、英語でスピーチをしてくれる場合がある。マオリ語のスピーチをほとんど理解できない私には、このマオリの女性の英語による話が一番印象深かった。
 彼女のスピーチの内容は、次のようなものだった。
 穏健派、過激派と、いろいろな政治的立場からの主張があるが、われわれはともにマオリなのだと、マオリナショナリズムに訴えていた。自分たちの運動と労働党との関係にも触れていたが、労働党マオリの運動が全て同化しているわけではない。だから、マオリとして、団結して行くことが重要だと、彼女は強調していた。
 声をふりしぼりながら、最後に彼女が訴えていたことは、今日の集会の成果を、地域・家庭に帰って、地域・家庭に広げる必要があるということだった。
 そして、最後の最後に、彼女は、女性の視点から以下のように力説していた。
 マオリは男性中心の社会だと言われている。そして、男ばかりが人前で演説しているけれども、それは女性が支えているからなのだと。女性がさまざまな貢献をすることによって、男たちが人前でスピーチができるのだと、彼女は強調していた。
 これはなかなか面白い。
 黒人の公民権運動でも、黒人の女性の活動家の一人であったセプティマ=ポインセット=クラークが同じようなことを言っていたことを私は思い出していた。
 昨夜パイヒアのフィッシュアンドチップスの店*1で知りあったマオリの女性がたまたま横にいたので、この素晴らしい演説をした彼女の名前を教えてもらった。
 彼女は、ウエリントンで活躍する有名な女性弁護士であった。

*1:このフィッシュアンドチップスの店は、毎年おこなわれているコンテストで、ニュージーランドでナンバー1に輝いたことがあるようだ。このコンテストについては、たしか斉藤完治氏の本でも紹介されていたように思う。