24時間・7日間営業だって、違う、違う、それは間違った方向です

 昨日は、人と会うインタビューはやめて、アールデコの建築めぐりもやめて、少し休むことにした。
 休むといっても、デスクワークが少々たまってきたので、デスクワークをこなすために出かけないだけの話で、休んでいるわけではない。キーウィから言わせれば、これは休みには全く入らないだろう。
 案の定、リーディングルームで日記を書いていると、夫婦が本をもって入って来て、あらまぁまたあなたはお仕事ですかという顔つきをした。おそらく彼らは昨日も私がパソコンで仕事をしていることを知っていたのだろう。
 当然挨拶はするけれど、そのあとは彼らがズカズカと私に干渉してくることは一切ない。
 リーディングルームには、私が先に来ていたので、「ネイピアのアールデコの建築は見てまわりましたか」と私が質問をすると、それはもともとやろうと思っていないという。「ただのんびりするために、ここに来た。こんな感じで読書をしながらね」と、その夫婦は言った。
 シルビア(仮名)とテッド(仮名)はロウアーハットに住んでいるようだ。「ああ、ウエリントンの近くですね」と私が言うと、「昔はタウポ(Taupo)に住んでいたことがある」と続けた。
 「30年間ニュージーランドに住んでいるが、ニュージーランドも変わったものだ」というので、「へぇ、どんな点が変わってきたのですか」と興味津々で私が聞くと、テッドによれば「かなり忙しくなってきている」という。
 我々のような奴隷的に忙しい日本人の眼で見て、どの程度忙しいのか、ますます興味がわいたので、「どの程度忙しくなってきているのですか」と、私は突っ込んで聞いた。
 「例えば、日曜日もスーパーマーケットをやるようになったしね」というので、この話に納得した 私は、「この前、パーマストンノースのパックンセイブという大きなスーパーマーケットで、夜中まで開いているのには驚きました。24時間、7日間の営業ですよ」と言うと、そうそうと頷いている。
 「10年以上も前に、オークランドを初めて訪れた際に、土曜日だったか、夕方5時ごろから目抜き通りで買い物をしようかなと思っていたら、バタバタと店が立て続けに閉まり始めたのを見て、一瞬あっけにとられ、その直後に、ああ、これはいい社会だ。みんな家に帰って夕飯を家族で食べるわけだと思い直したことがあるんですけど。それがニュージーランドに興味を持ち始めた最初だったかな」と私が言うと、それは今は昔の話になっていると言う*1
 日本人からすれば、ニュージーランドの変化は、日曜日にお店がやっているというその程度の忙しさなのだが、キーウィからすればこれは大きな変化なのだ*2。そして、確実に家族と一緒に夕飯を食べられない人たちが増えている。私から言わせれば、これは日本が犯した大きな間違いと全く同じで、間違った方向だ。
 「タウポの水は昔は飲めたのに、今や飲めないしね」というので、「何故ですか」と聞くと、「農業のせいだね。汚染されてきているから」という。
「乗馬も昔は、ご近所で、タダで乗せてもらったものなのに、最近は高い金を取るようになってきた。いわば商業主義ね」と、シルビアも言う。
 こうした流れは、全て間違った方向だろうと私は思う。
 その昔、近所のガラス屋さんのお兄さんにリヤカーを乗せてもらった思い出を私は思い出していた。馬とリヤカーでは違うと言うかもしれないが、内容は同じようなものだ。ガラス屋さんのお兄さんは仕事中にもかかわらず、楽しみにして行列をつくっていた近所の子どもたちの期待をけっして裏切らなかった。
 昔の日本は、捨てたものじゃなかった。
 夏の暑い時期に氷を切る氷屋さんがいた。リヤカーで氷を売りに来るのだ。のこぎりでシャーシャーと氷を切るのだが、それを見ているだけでも楽しかった。リヤカーでやってくる風鈴屋さんもあった。富山の薬売りなんてのもあった。米であられを作ってくれる通称、爆弾屋というのもあった。米びつから米を盗んで袋で持っていくと、アラレにしてくれた。紙芝居屋も多かった。公園の近くでは、おばあちゃんがおでんを売っていた。
 これらは、共同体として全く正しい方向である。
 何も私はこれを懐古趣味で言っているのではない。表面的な形は、変わって当然だ。
 私が言いたいのは、子どもと青年や大人との関係性を言っているのだ。大人が子どもとつき合うには、まず時間が必要だ。だから、大人を解放してあげないといけない。今や日本は忙しさのあまり共同性が薄れ、互いに挨拶をする時間もなく、バラバラになっているのではないかということが言いたいのである。
 ここニュージーランドでも、せっかく釣りができる自然があるのに、釣りもせずに、テレビやテレビゲームをやっているキーウィの子どももいるとオプナキ(Opunake)で聞いたが、私から言わせれば、もちろんそれも間違った方向だ。
 ところで、彼らは生のマッスルを食べるという。何故かといえば、それは彼らにマオリの友人がいるからだ。
 彼らによれば、3ヶ月働いて、残りの9ヶ月遊んで暮らすというのがマオリの生活哲学だという。それに対して、ヨーロッパ人は、3週間くらいしか休まず、年中働いているとういような印象がマオリにはあるようだ。もちろん少し大袈裟な話だろうが、ようするに大事なことは、スローダウンして、「気楽に行こうよ」(Take it easy.)ということだ。
 テッドとシルビアは、情けない話なのだが、忙しくて2週間の休みしか取れないという。
 それでも、2週間は、夫婦で旅行ができる。
 我々日本人のような奴隷的生活とは、やはり根本的に違うようだ。

*1:それでも、オークランドはかなり変化してきたとはいえ、ウエリントンや今私がいるネイピアなどは、夕方5時以降はひっそりとして、車もほとんど道路から姿を消すような印象がある。

*2:これも何度も紹介しているが、20年くらい前の雑誌タイムで、ロンドンだったか、イギリスで日曜日に店をやり始めたことが記事になったことがある。それほど、当時は、日曜日は安息日で教会に行く日であり、商売などしなかったのである。