25日の朝に起きた尼崎のJR列車脱線による大惨事で、104人目の遺体として先頭車両で運転していた23歳の運転士の遺体がようやく確認されたようだ。
事故車両の一台目はマンションの駐車場に突っ込み、20メートルほどの車両が半分になってしまい、二台目は、「く」の字に曲がるほどの事故状況から、救出作業は困難を極めている。
事故の原因は今なお調査中だが、基本要因としてスピードの出し過ぎがあることに間違いないというのが大方の見方だ。70キロの制限速度のカーブ地点で、108キロの速度を出していたという。
言うまでもなく、旅客業務の任務で一番大切なことは、乗客の安全である。
この大惨事が起こった直前の停車駅である伊丹駅で、40メートルほどのオーバーランをしてしまったこの運転士は、1分半の遅れを取り戻そうとして、大幅な速度超過をしたようだ。
昨年私が滞在していたアオテアロア・ニュージーランドでは、「必要にして十分」という生活哲学があると私は思っているが、何故事故に至るようなスピードを出す必要があったのだろうか。
私は電車の専門家ではないけれども、一利用者として考えるに、電車が遅れたら遅れればいいだけの話だと思う。
おそらくニュージーランド人も、ハイテク日本で何故こんな事故が起こるのか理解できないだろう。