哲学がないから事故が起こるし、哲学がないから事故後も反省できない

記事と写真は関係ありません

 JR宝塚(福知山)線の脱線事故当日の4月25日夜、JR西日本の車掌や運転士でつくっている親睦団体が事故当日宴会していたことが新聞で報道されている。
 宴会がおこなわれたのは事故当日の夜のことだから、リゾート施設の宿泊棟のロビーでは当然にも事故を報じるテレビ報道が流されていた。宴会前に参加予定者の一部から予定通りやるのかという問い合わせがあったようだが、年に1回のことだからやろうと幹事役が実施の判断をもったようだ。私的な宴会とのことだが、民主党の国会議員も参加して、「復旧を急ぐとともに、利用者の信頼回復のためにJRとして頑張ってほしい」と、席上挨拶をしたと朝日新聞が報じている。
 事故当日、脱線車両に偶然乗り合わせていたJR西日本の運転士二人も、会社に指示を仰いだ際に、遅刻しないように出社せよとの指示を上司から受けて、人命救助もせずに事故現場を離れて出社したことも判明している。また、事故当日のボウリング大会実施など、今回の事故後も、JR西日本の体質が問題視されている。
 言うまでもなく、今回の事故は自然災害ではない。JR西日本という企業の構造的な体質による人災に他ならない。一番考えないといけない安全を軽視しているJR西日本の体質が問題になっているのだが、これは、哲学不在の日本的状況をたんに映し出しているに過ぎないのかもしれない。
 事故の背景には、安全よりも利益追求を優先する企業姿勢、すなわち、高速・過密ダイヤ、安全のための新型列車自動停止装置(ATS-P)の設置よりも、むしろ投資効率を重視した安全装置設置に対する怠慢、労働者への有無を言わさぬ締めつけと労務管理の問題がある。
つまり、安全性よりも経済性を追求せざるをえない企業競争のツケがまわってきているのである。経済性を追求するといっても、今回のような大惨事が起こってしまえば、経済的にも大打撃を受けることはわかっているはずなのに、安全性を軽視してしまう。
 この遠因は、国鉄民営化にある。この悪政を推進してしまったツケがまわってきているのだ。一番大事にしなければならない安全をないがしろにした政策を押しすすめてしまった結末が、いま国民の首をしめ始めていると言わざるをえない。
 その意味では、国鉄民営化、郵政民営化という悪政をすすめる政治家を無批判的に支持してきた国民の側の民度もためされているのである。
 瓦礫の中に閉じ込められた被災者に対して点滴などの治療をほどこす医療や、医療施設に搬送する優先順位を決める方法など、あの阪神大震災から10年を経て、「現場に飛び出す医療」活動が実践的になってきたのとは、きわめて対照的だ。