日本の言語環境

駅の看板表示(シンガポール)

 日本に帰ってきてから、あっという間に、一ヶ月半が経ってしまった。
 毎日仕事に忙しく、いつも通り、少し前まで、しばらく海外にいたことなんかすでに忘れてしまった。
 日本にいると、英語を話すことも必要なくなり、日本語だけの世界になる。
 この前たまたま駅で困ってそうな黒人男性を見かけたので、英語で話しかけてみたときに、果たして英語が口から出てくるのか少し心配だったが、なんとか手助けすることができた。日本だと、英語が出てくるのか、何というのか、自分でも心もとなくなってしまうのだ。
 外国語をほとんど必要としない日本の言語環境では、外国語を話す能力が潜在的にあったとしても、それを顕在化させることは、ほとんど必要がなくなる。日本語を話す人口の多い日本に限っていえば日本語は大言語だから、外国人がかなり訪問し日本に滞在するようになってきているにせよ、彼らや彼女らが日本語を学び日本語を話すように追い込まれるから、どうしても日本では日本語だけの世界になる。
 アイヌ語朝鮮語、中国語の存在を無視して、日本は単一民族で日本語だけというような妄言を主張するつもりはさらさらない。さらに今日、他のさまざまな外国語が使われるようになってきていることも事実だけれど、日本語だけしか耳にしないというような日常生活や言語環境は日本では支配的だ。
 たとえば、シンガポールなら、アジア系の顔をしていても、この人は何語を話すのだろうと考えないといけない。
 日本の外国語教育や外国語学習を考える際に、こうした日本の言語環境を考慮することは、きわめて基本的な条件であるように思う。