今回の選挙結果は、果たして国民の要求を反映した結果なのか

 今回の選挙結果は、果たして国民の民意を反映した結果なのだろうか。このことについて考える前に、まず、国民の要求とは何か、少し考えてみたい。
 子どもを産み育てたいという、未来ある、明るい社会で、平和に暮らしたい。そして、平和に暮らすだけではなく、豊かに暮らしたい。奴隷的長時間労働ではなく、あるいは不安定な雇用でもなく、8時間は仕事をして社会貢献を果たし、8時間は寝て明日への活力を養い、8時間は自分のことで使う。もちろん、家族で夕食をとり、子育てにも男女がゆとりをもって、おこなえるような暮らし。そして、地域社会の人たちとも仲良く生活できる暮らし。年老いたら、社会保障に支えられ、たとえば年金で不安なく暮せる暮らし。こういう今の日本ではまるで夢のような暮らしがまっとうな社会というものだろうし、本来の国民の要求というべきものだろう。
 しかしながら、今わたしたち国民の胸のうちにあるものは、冷たい政治に対する不安であり、年金制度に代表される政治に対する不信感であり、憎悪である。
 日本は着実に弱肉強食社会になっている。富めるものは、さらに富めるように、貧乏人は、さらに貧乏になっている。額に汗して真面目に働くものが報われず、金が金を生む錬金術師のような小数の「勝ち組」ばかりが大きな顔をしている社会になってしまった。
 たとえば、教育においては、金持ちは、私学を志向し、貧乏人は、私学なんて選択肢の外になる。貧乏人には、機会均等なんて、与えられない。東京大学の入学者の家庭の年収は高くなる一方だ。政治家だってそうだ。二世議員っていうものは、一体全体何なのだろう。政治家は、本来断じて世襲制なんかではないはずだ。
 こうした弱肉強食社会を国民は望んでいるのだろうか。経済でいえば、超金持ちと圧倒的貧乏人との二極分社会を国民は求めているのだろうか。国民がそんな差別的な社会を望んでいるとは私には到底思えない。
 憲法九条をめぐって、日本が再度戦争のできる国にするのか否かも、争点だったはずだ。平和憲法を支持している圧倒的な日本国民が、他国に軍隊を派遣し、戦争を希望しているとは、私には到底思えない。
 今回の選挙では、郵政民営化だけではなく、こうしたさまざまな争点があったはずなのに、アメリカ病にかかった小泉純一郎首相・竹中平蔵蔵相に、郵政民営化に賛成か否かが争点だと仕かけられ、テレビなどのマスコミも、それに乗っかった。今のマスコミは、ジャーナリズムの精神を忘れ、小泉チルドレンのようなものばかりに占められてしまっているようだ。
 今回の自民党圧勝という選挙結果は、果たして国民の要求を反映したものなのだろうか。