間違え方が変というのは、学習の仕方が変だからだろう

 最近、定期試験が終わり、その試験の採点をしていると、「間違い方が変だ」「変な間違いが多い」と同僚といいながら採点をしている。
 昔の子なら恥ずかしくて書かなかったとんちんかんな答えを今の子は平気で書いている。こうした現象からすると、今の子供たちが本当にわかっていないのだと言わざるをえない。昨日も体力がない子供たちというのがニュースになっていたが、そうすると、知力も体力もかげりを見せているのが今の日本の子供たちの現実ということになる。
 こうした状況を私は大変「憂えている」と授業中に言ったら、「グレーテル?」と生徒に言われてしまった。憂えるというコトバを日常的に見聞きしないから、憂という漢字も頭に浮かばないのだろう。昔の生徒なら、受けをねらってわざとボケた生徒がいたものだが、これが受け狙いの意図的なボケでないから、事態は深刻なのである。