どんどん過保護になっていく日本の教育

富山県教委は三十日までに、高校生の学力向上を目指し、予習・復習の仕方やノートの作り方などを記した学習マニュアル「高校生学びの挑戦」を作成した。来年一月中に全日制四十三校、定時制五校に内容を収録したCDを配付する」という。
その理由は、「中学校から高校に入ると学習内容が質、量ともに一気にレベルアップすることから、授業に付いて行けなくなる生徒が毎年、かなりの数に上っているのが実態である」ということだ。
これから私はいくつかの問題点を指摘しようと思うけれど、私の立場は、この富山県教委の取り組みを批判する立場からのものではない*1
表題として「どんどん過保護になっていく日本の教育」と書いたけれど、「どんどん過保護になっていかざるをえない日本の教育」と書いたとしてもこれは全く同じである。つまり、そうした子どもの実態が広がっている点が問題なのだ。
「過保護」とは、英語でoverprotectiveとか、spoon-fedというのだろう。spoon-fedとは、スプーンで食べさせることを言い、簡単にいえば「はい、あーんして」ということだ。
昔、大学のゼミで、「教育とは何か」、仲間と討論したことがある。教育とは、子どもに親がさじで食べさせる段階から、自分でさじを持って自分で食べられるようにする段階に引き上げることだと、そう仲間と学んだことがある。これは、いわば自立させるためにこそ援助、教育というものが必要だということだろう。
今の日本は、象徴的にいえば、子どもに失敗させることもさせないから、いつまでたっても子どもを自立させることができない。どんどん過保護になっていかざるをえないのが日本の教育の実態なのである。

*1:教育や子育て、つけ加えていえばコミュニケーションというものも「双方の問題」だから、「一方的に」なじったりしても意味がない。お互いに理解できるようにお互いに努力をしないといけない。最初から譲歩するのは適切ではないが、生徒の実態に合わせて教師が一段も二段も下がらないとならない場合は、下がらないといけない。