学校授業で広がる「外注」で、教育破壊はさらにすすむ

amamu2006-01-12

 「小中高で、授業や補習、進路指導などを予備校や進学塾に任せる「外注化」が首都圏を中心に広がっている」と、1月11日付けの朝日新聞が一面で報道している。
 学校授業の「外注化」がすすむ中で、「進学に特化した指導はプロに任せた方がよい」と、東京は中央区にある私立中高の校長が、さらに、「いい大学に現役でという親や生徒の要望に応えないと、立派な理念を語っても生き残れない」と、さいたま市のある高校の教頭の話が紹介されていた。
 私はこれを一読して、なんとも情けない話だと思ったのだが、世間は逆の反応かもしれない。私は「外注化」が一概に悪いと言いたいわけではない。たとえば、PTA父母の社会人としての経験談を「外注化」して聞かせるとか、弁護士の話を「外注化」して聞かせるなんてのは、閉鎖的な学校を開放していくためにも必要だと思うし、進路指導がいけないわけでもない。進路指導は必要だ。基礎学力向上のための、補習だって必要である。ただし、こうした課題は、学校の「プロ」たる教師集団が考えないといけない課題だと思うのだ。それを放棄して、学校がよくなるはずがない。これは、何も考えない教師でいいということになる。ものを考えられない教師が教える学校なんてのは、ものを考えない生徒しか生み出しえないだろう。
 「受験」にだけ特化したプログラムを進行させる、その陰で、学校教育らしい取り組みがつぶされていくことが大問題であり、それでは、学校はよくならないと私は言いたいのである。
 先に引用した管理職の発言に私は呆れるが、今の日本は、日本全体がこんなものなのだろう。だから、これは、こうした管理職だけを私は批判しているわけではない。そうした事態が、この日本で、すでに進んでしまっているということ自体が深刻な事態といわねばならないということだ。
 その意味でいえば、教育基本法がうたうような教育がこの日本に存在するのかという深刻な事態と言わざるをえない。