教育で理想を語らずして、日本のどこで理想が語られるというのか

 「いい大学に現役でという親や生徒の要望に応えないと、立派な理念を語っても生き残れない」と、ある高校の教頭が述べたことを先に引用した。
 この教頭が極端に悪いわけではないだろう。日本のレベルは、全国こんなレベルなのだろう。もちろん、私も生徒の進路保障は、重要だと思っている。しかし、今は少子化の時代ではないのか。競争も一概に否定しないが、いまだに競争原理だけが、日本の教育を支配しているというのは、時代状況としていかがなものか。そして、決定的なことは、「立派な理念」と「生き残り」を天秤にはかる論理的な必然性があるのか、ということだ。
 今の日本には、「立派な理念」もなく、「生き残り」しか存在していない。
 こうして「立派な理念」が軽視・無視され、日本が理想を語らぬ社会になり、ますますダメになっていくのではないか。
 私は一人の教師として声を大にして言いたいが、教育で理想を語らずして、どこで理想が語られるというのだろうか。