東京都立高校の職員会議における採決禁止について、渡部謙一氏による「教育の活力奪う挙手禁止」と題する意見が、昨日の朝日新聞に掲載されていた。
その紙面の横には、在日米軍再編問題について「国民不在の議論に憤り」との野中広務氏の意見が取り上げられていた。
渡部謙一氏という人物を私は知らないけれど、都立高校の元校長とあるから管理職であった人物だし、野中広務氏は、言うまでもなく、元官房長官であった人物だ。
そうした人たちが、今の日本を真剣に憂えているのが、今日の日本の悲しい姿である。
渡部氏は、「職員会議は、校長を中心とした教育活動の協働を作り出す場であり、その論議を通して互いに学び合い教育力を高めあう最大の研修の場です。 ところが今回の都教委の通知は、私もなじまないと考える「職員会議での採決決定」をまた一つ飛び越して、「所属職員等の意見を聞くことが必要な場合において」までも「挙手・採決」などの方法を禁止しました。 意見が反映されないで誰が意見を言うでしょうか、意見を言えないでものを考えるでしょうか。これは、ものを言うな、ものを考えるな、黙って従えというに等しいことです。そこまでなぜやるのか? 特定の教育観をおしつけるために、異論を排除するものとしか考えられません」と述べている。
つまり、元管理職や、自民党の中枢にいた人物が、日本の現状を嘆いているのだ。
共通する点は、日本に民主主義がないということである*1。
これで世界のほかの独裁国家をわらうことができますか。
民主主義のない独裁国家は、ほかならぬ私たちが暮らしている日本のことではないだろうか*2。
まさに、やるべきことをやらず、やらなくていいことばかりをやっている日本の姿がここにある。