教育基本法を改悪してはならない

 いじめ問題というが、いまの日本の大人社会が、格差社会といういじめ社会になっているのではないのか。立派な大人であるはずの教育現場の管理職ですら、自分の気持や自らの教育的信念からではなく、中間管理職的な立場に板ばさみになりながら、自殺の道を選択しなければならない時代である。子どもは、大人の姿を映し出している鏡に過ぎない。
 そもそも、いまの大人社会に希望がない。当然、子どもの社会にも希望があるはずもない。そして悪いことに、そうした社会をなんとか変革しようという力が民衆に十二分にない。メディアがそうした力を応援しないどころか権力に擦り寄っている。
 最近では、さらに、いい小学校に予算を重点的に配分するなど、逆に学校間の無意味な競争を煽っている始末だ。
 私は、ある私立大学の附属高校の教壇に長年立ってきたが、いま問題になっている未履修問題など、とうの昔からわかっていたはずだ。さらに最近では「教育改革タウンミーティング」で文科省が主導した「やらせ質問」など、文部科学省は醜態をさらしている。
 こうした中で、そもそも今の教育問題の責任を教育基本法にかぶせるのは全くのお門違いで、むしろ文部科学省の責任を問わなくてはならない。まさに問題のすり替えに他ならない。
 ちなみに未履修問題だが、私の勤務校では、全教科をまんべんなくやる珍しい学校なので問題はない。いろんな教科をまんべんなくやるというのは、高校段階としてごく普通の学校だと思うが、こうしたごく普通の学校であることが最近の日本では珍しい。
 そう、日本では、普通であることがむずかしい。日本は、かなりおかしい、普通でないということを自覚すべきだ。
 教育基本法の改悪は、やるべきことをやらずに、やるべきではないことをやっている日本の、これまた典型例を積み重ねる愚行に過ぎない。