高校時代の英語授業の思い出

 このところ「言語」指導と「言語活動」指導の話をしているのだが、言語指導と言語活動指導とは、下手な例え話でいうと、自動車のメカニズムと実地の運転のようなところがあるかもしれない。
 よく知られているように、文法や語彙指導の研鑽を積んでも、それだけでは使いこなすことはできない。あるコトバをマスターするには、その両方をやる必要がある。
 私の高校時代、いい英語教師に巡り合ったのだが、やはりその指導は、言語指導にとどまっていたように思う。
 料理で「焼く」という動詞には、bake, grill, roast, toast, broil, fryなどがあるとか、burn*1という動詞との違いとか教えてもらって高校生の私はため息をついたものだ。今の私ならcookやdo*2もついでに教えるかもしれないけれど。
 また、twilightは「たそがれ」という意味だが、私の恩師である英語教師はこれを「誰そ彼」を例に教えていただいた。夕暮れ時というのは、先方がよく認識できないというイメージを鮮明に植えつけられたことを覚えている。夏目漱石ではないけれど、昔の英語教師は英語ばかりでなく古典の素養もあったから、こうした語彙指導に唸ったものだ。今の私なら、twilightのtwi-は「二つ」、つまり、明暗の二つの光に挟まっている「薄明かり」「たそがれ時」と説明するかもしれないし、古いが合州国のテレビシリーズ「トワイライトゾーン」か、「たそがれ清兵衛」の英語訳を例に持ち出すにちがいない。
 こうした授業は、言語指導というべきもので、言語活動指導の範疇には入らない。

*1:Don’t burn the meat!という表現がある。

*2:do meatで「肉を料理する」という意味がある。well-doneを例に持ち出せばdo meatは理解しやすいだろう。