教師に対する日常的評価はすでにされている

 昨日の話の続きだが、教員免許更新というのは、教員評価の問題だろう。
 それで教師に対する評価だが、教師の仕事において、しんどくて、かつだから面白いと思うのは、生徒の評価が日常的になされることだ。
 これは点数のような評価ではないけれど、教科担当者や担任は、毎日、毎時間、生徒から評価を受けていると言っていい。
 それは、つまらない授業やHRをすれば、すぐに私語や居眠りが待っている。生徒との信頼関係が打ち立てられなければ、ちょっとした教員の言い方で、生徒はすぐに反発・反抗する。日常的に生徒の鬱憤がたまっていれば、ちょっとしたことを契機にそれは爆発する。これは非難して書いているのではない。教師は常に批判されて当然だ。教師だって人間であり、未完成だから、常にフィードバックが必要だ。教師みずからが教育されなければならないというのは、重要なテーゼである。また、生徒の評価ばかりでなく、父母の評価もある。
 世間では、教師は楽で、休みも多いと言われているけれど、そういう意見をお持ちの方には是非とも一度教壇に立ってやってみて欲しい。
 落語の噺家ではないけれど、お客さんがそっぽを向けば噺家は高座を降りなければならない。古典落語文楽師匠の話ではないけれど、呂律がまわらず、ちょっとした失敗から引退するという潔さも教師には必要なのだ*1
 教師の道は厳しいのである。

*1:と同時に常に完璧な教師がいいというものでもないというのも真実だ。今はなかなか余裕もなく厳しいと思うが、昔は、例えば眼が不自由になった教師を生徒が支えたという話とか、健康を害した教師を続けることが困難になった者を生徒が支えたというような話が結構あった。そしてここが大切なのだが、そのことが教育的にみても、生徒に大事なことを学ばせる契機になったというような話が存在していた。