国は、全体の学校の底上げをはかるために、全ての学校を例外なく支援せよ

amamu2007-07-24

 「競争は学校の品質(品格)を高める」なんてことを、真顔で校長が言っているような時代だが、学校を高めるものは競争なんかではありえない。
 教育の原理や正しい教育哲学にもとづいて学校づくりに努力するということが重要なのであって、その努力は、競争原理とは、そもそも関係がないはずだ。
 正しい教育原理にもとづいて全ての学校が例外なく教育づくりをすることは当然求められていることであり、そのためにこそ、条件整備につとめるのが政治というものである。この支援・応援に、例外があってはならないはずだ。それは、納税者がその師弟を学校に送っているのだから本来許されることではない。
 学校間競争を導入し、その評価によって予算配分をおこなうというのは、本来使うべき教育資金総額を削減するよい口実になっているし、優劣をつけて資金配分すること自体が教育的でないことは明らかだ。
 なぜ、国は、日本全体のありとあらゆる学校を、例外なく向上させようとしないのか。
 なぜ、全体の底上げをはかろうとしないのか。
 ここに、「学校間競争」論のインチキさがある。
 ということで、私は、「学校間競争」など、はなから信じていないのだが、視点はかなり違うけれど、「公平な学校間競争は不可能」という意見が7月17日の朝日新聞に載っていた。
 国民教育文化総合研究所署員である中川登志男氏が、「学校選択制による学校間競争が公平な競争となっていない」ことを指摘して、次のように述べている。

 学校選択制を実施している自治体で人気のある小・中学校は、(1)校舎が新しいなど、施設・設備が充実している (2)「○○区の学習院」と呼ばれるなど、地域の伝統校である (3)閑静な住宅街に位置したり交通の便が良かったりするなど、校舎の立地条件が良い、といった特徴を持つ。
 一方、不人気校は、(1)校舎が老朽化している (2)「荒れ」の風評や、学校統廃合で廃校になるといったうわさがある (3)繁華街の近くや丘の上、通学区域の端に校舎があるなど立地条件が悪い、といった特徴を持つ。
 施設・設備の充実による人気は、別に現場教員の努力の成果ではないし、校舎の老朽ウ化による不人気も、現場教員の責任に帰すことはできない。各学校の人気・不人気は、現場教員や保護者、地域住民などの努力の程度と無関係に決まることが多い。そのことが公平な学校間競争を難しくし、学校選択制のデメリットを際立たせるのである。

 そもそも国民が求めているのは、学校間の競争ではないだろう。一人ひとりの子ども、一人ひとりの教員、一つひとつの学校を、例外なく大切にすることではないだろうか。そのための、真剣な努力は求めていると思うが、そうした誠実な努力が、「競争」という名で誤魔化されてはならない。