鞍山から千山へ

 鞍山で昼食を取り、ここからさらに千山をめざす。
 千山には、その名のとおり山々が連なっている。その山は群馬県にある妙義山のような険しい山々であり、奇岩で有名であるという。その千山に、無量観という道教の寺院がある。道教の寺院には、護衛術も鍛えた心身ともに頑健な修行僧が住み、千山の道教は1000年の歴史をもつと言われている。
 そうした千山の道教の長い歴史の中には、逃げ込んできた抗日パルチザンをかくまった歴史があり、その抗日パルチザンのセンターの役割を果たしたという寺にこれから立ち寄ろうというのである。
 千山に着くと、入り口から無量観に上る登山口まではカートに乗ることができるとのことだ。多少のお金がかかるということだが、これはありがたい。
 登山口までカートで運んでもらって、いよいよ歩きで頂上をめざし、急勾配の階段を登る。

 途中、石で作られた二対の獅子がいた。向かって右側の獅子が雄だそうで、見るとこのオスは鞠で遊んでいる。左側の獅子が雌だそうで、このメスは子どもをあやしている。
 現在、千山にあるいくつかの建造物が修復中で、急勾配の石段を背中に石を担いで運んでいる人たちがいる。これは相当な重労働である。ここがもし日本ならば、こうした重い石の運搬であれば機械でやるだろう。もしこんな重労働を人間にやらせたら、日本であれば、人件費の方が高くついてしまう。
 登りきったところの建設現場付近で、秤で石の重さを計っていた。荷物担ぎでは、何キロ運んだかが賃金支払いの際に重要になるのだろう。

 さて、ようやく抗日パルチザンの事務所となった場所にたどり着いたが、建物の中には立ち入り禁止で、入ることはできない。覗き込んでみたものの、そこにはただ暗闇が広がっているだけだった。しかし、抗日パルチザンがこんな山奥深いところに逃げ込んだら、関東軍といえども、それ以上立ち入ることはむずかしかったに違いない。
 ここは頂上ではないけれど、見晴らしがよく、眺めてみると、さらにもっと高い岩壁の上のあちこちに見物人が豆粒のように見える。その頂上付近の岩肌には毛沢東を讃える文字が岩壁に直に彫ってあるが、あんな高いところにどのようにして彫ったのだろうか。

 さすがに今私たちがいるところは眺望が素晴らしいのだが、千山の景観はいい。千山は美しいところだ。
 景観を楽しみ、一休みしてから下山する。途中、また石を運んでいる人たちとすれ違う。彼らの労働を見たら、私たちの登山など取るに足りぬものだ。文句など言っていられない。
 下りは時間的に早く感じながら、登り口に戻り、カートに乗って舗装道路を入り口まで戻る。
先ほど入り口付近で出会った観光客相手に商売をしている年配の女性に再会した。彼女は、一日こうして観光客を待ちながら商売をしているのだろう。まさに中国の労働力や人件費が安いから、成り立っているような商売だ。