久しぶりに「アリ 英雄の伝説」を観た

Muhammad Ali: The Whole Story

最近おこなわれたボクシングのフライ級タイトルマッチで、挑戦者の闘い方に問題ありということでニュースが賑わっているけれど、久しぶりに「アリ 英雄の伝説」を観てみた。これは、6本からなるMuhammad Ali: The Whole Story*1という題名のビデオだ。
 日本版では、第一巻がアリ~英雄の伝説~1「タイトルへの挑戦」 [VHS]という題名で発売され第六巻まである。
 モハマドアリが素晴らしいボクサーであることはもちろんだが、ベトナム戦争の兵役拒否でも知られ、私たちがモハマドアリの生き方から学ぶことは少なくない。また、モハマドアリの生き方を通じて、60年代、70年代のアメリカ合州国の社会や歴史を学ぶことができるから、モハマドアリは、英語教育としても素晴らしい教材になりうる。モハマドアリを扱ったビデオはいくつかあるが、ビデオ「アリ 英雄の伝説」は必見だ。6巻あって全部見るのは大変だけれども、若い人たちに是非とも見ることをお薦めする。
 モハマドアリについて全く知らない方に、アリについて簡単に紹介しておこう。
 のちにモハマドアリ(Muhammad Ali)と改名するアリは、カシアスクレイ(Cassius Clay)の名でケンタッキー州ルイビルに1942年に生まれる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Muhammad_Ali
 18歳のときに1960年のローマオリンピック、ボクシングのライトヘビー級で金メダルを獲得して故郷に凱旋するが、時代は人種隔離政策の時代。金メダリストであっても白人専用のレストランで黒人お断りと食事提供を拒否され、アリはせっかく勝ち取った金メダルを怒りと悔しさから川に投げ捨ててしまう。アリにとっては、リングの中の対戦相手だけでなく、リングの外にも人種差別という倒すべき相手がいたと認識せざるをえなかったろう。
 1964年、アリはソニーリストンと闘い、大方の予想を裏切って世界ヘビー級チャンピオンになる。若干22歳のときのことである。アリのフットワークは早く、アリの左右のコンビネーションから繰り出すパンチは早かった。まさに、蝶のように舞い、蜂のように刺すというにふさわしいボクシングスタイルだ。その後世間を驚かせたことは、アリがNation of Islamというイスラム教の一会派に入り、モハマドアリと改名したことである。おそらくこれは、見えない(invisible)存在としての黒人的存在から、自己の存在証明をなんとか取り戻そうとする営みだったに違いない。
 1967年、アーニーテレル(Ernie Terrel)との対戦前に、テレルからカシアスクレイと旧名を呼ばれ続け、モハマドアリと呼ばれなかったアリは、名誉を傷つけられたと、テレルにUncle Tom(白人におべっかをつかう黒人)と悪罵を投げつける。Uncle Tom*2は、「卑屈な黒人」のことを指すから、テレルの姿勢が問題とはいえ、これはかなりひどい侮蔑の言葉だ。試合中、リングの上でも、アリはテレルに What is my name?(「俺の名前は何だ」)と言い続けた*3。あのマルコムXは、子どもの頃、マルコムリトルという名だったが、同様に、自分に名前はない、自分はXだと呼び始めた精神構造とこれは同じ性質を持っていると言える。名前へのこだわりはアイデンティティへのこだわりに他ならない。
 ボクシングにおける強さだけではなく、ときに大ぼら吹きに聞こえる物怖じしないアリの言辞は世間の注目を集めたが、度重なるKO予告は、八百長ではないかと勘ぐられ、物議をかもしだすことも少なくなかった。
 そうした中でも、ベトナム戦争に対するアリの言辞は、いまだ反戦運動が高揚していない時期であったため、世間の注目を集めた。
 ベトナム戦争が激しくなり徴兵令状を渡されたアリは、自分はベトコン*4に恨みはない、彼らと戦う必然性はないと兵役拒否をする。マーチンルーサーキングジュニア(MLK)に、宗教は異なるけれど「アリの勇気を賞賛する」(admire his courage)と言わしめ、アリもWe’re brothers.とMLKに答えた。
 こうして、1967年にチャンピオンのタイトルを剥奪され、アリは生活権も奪われた。
 兵役か、刑務所行きかの二者択一を迫られたアリは、いや自分には第三の道、すなわち正義(justice)の道があると喝破し、アメリカ国家に対して裁判の闘いを挑んだ。
 その頃、アメリカ合州国では、差別に対して暴力的な反対運動も盛んになりつつあったが、アリは、自分は暴力に訴えることはしない、徴兵令状も焼かない、武装している州兵には勝てないからといって、裁判闘争に訴えたのだ。Clean fightにつとめてきたアリは、戦争に行って無辜の人たちを殺すことはできないと主張した。
 モハマドアリは、偉大なボクサー(the greatest)であるばかりでなく、言語で闘う法廷でも優れた話し手であり、偉大であった。しかしながら、結果は、ボクシングで負けたことのないアリが裁判では負けた。禁固5年だった。これはアリの責任というよりは、時代がアリに追いついていなかったのだ。
 結局、3年半もの間ボクシングの試合が許されなかったアリは、パスポートも奪われ、海外での仕事も許されなかった。この間、アリは講演をしたり、テレビに出たり*5、原稿料を稼ぐしかなかった。復活後、ボクシングではジョーフレイジャーに負けたものの、裁判闘争では、1970年に無罪を勝ち取ることができた。
 数度のアフリカへの旅は、アリに黒人であることの誇りを取り戻させていた。アフリカ回帰である。32歳のときにザイールのキンシャサでジョージフォマン(George Foreman)と戦うことになる。Rumble in the Jungleというニックネームがついた有名な試合だ。
 アリはザイールの民衆の支持を集めて、Rope-a-dopeという戦法でフォアマンを破る。フォアマンがKOされるときに、アリが最後のとどめの一撃をくり出さずにフォアマンがリングに沈む姿を眼で追っていく。まるでスローモーションのようにゆっくり倒れるフォアマンを眼で追いかけるアリが印象的だ*6
http://en.wikipedia.org/wiki/Rope-a-dope
 後年、パーキンソン氏病にかかったアリはボクシングを引退しても、同じ病の人々や弱い立場の人々を励ますボランティア活動に専念し、ローマオリンピックから36年後のアトランタオリンピックで最終聖火ランナーをつとめた。川に捨てたローマオリンピックの金メダルも、再度渡されて、名誉を回復した。
 9・11の直後のコンサートにも顔を出して、自分はイスラム教徒だが、イスラム教徒と暴力とは関連がないと小刻みに震えながらテレビで訴えていた。
 モハマドアリ(Ali, the greatest)は、筋の通った一貫性のある人格者(a man of integrity)であり、まさに英雄である。
 「アリ 英雄の伝説」は、全編を通じて、正義と勇気ある一人の人間の成長*7と生き方、そしてアリの不屈の闘いが表現されている。だから、涙なくしてこのビデオを見ることはできない。その意味で、これは若い人たちに是非見てもらいたいビデオである。

*1:Muhammad Ali: The Whole Storyは、英語版のタイトル。

*2:主に黒人どうしで用いるアンクルトムという蔑称は、Harriet Beecher Stoweの小説Uncle Tom’s Cabinから由来している。

*3:アーニーテレルとアリとのやりとりは、YouTubeにもアップされている。

*4:ベトコンは差別用語だが、ここではその蔑称をそのまま使っておく。

*5:ミュージカルにも出演したようで、そのさわりとして、お笑い番組に、We came in chainsと、奴隷船に乗せられた奴隷として唄を歌うアリの姿には泣かされる。

*6:フォアマンのKO場面も、YouTubeで観ることができる。

*7:少年時代から青年時代、そしてヘビー級のボクサーになる体型を見ると、アリがいかに身体を鍛えたかがわかる。アリは練習好きで有名だった。ボクサーは、身体を鍛えるだけでなく、精神を鍛え、統一した人格として成長しなければならない。