安全神話は昔の話

 今日あちこちのテレビでやっていたが、最近、タクシーの運転手が客から暴行を受ける事件があとを絶たないようだ。
 タクシーの運転手による乗車拒否など、昔は、タクシーの運転手が客より上に立っていたイメージがあるが、今は、客の方が圧倒的に悪いようだ。悪いどころか、運転手が身の危険を感じる犯罪者が少なくないようだ。
 考えてみれば、タクシー内は密室状態。客のモラルが悪く、悪いどころか初めから金を払わないつもりだったり、金をまきあげる詐欺行為を計画していたり、強盗を考えられていたら、運転手はたまらない。
 これで自分の個人的体験で思い出すのは、28年くらい前に初めてアメリカ合州国に滞在していたときのことだ。サンフランシスコのカウパレス近くで、コンサートがはねて、夜遅く、私はダウンタウンに帰るバスを待っていた。その後、徐々に若い黒人に囲まれ、襲われたことがある。ちょうどバスが角を曲がって到着したので、さんざんな眼に合わされながら、私はバスに乗った。運転手近くの座席に座ると、いきなり顔面を蹴られた。運転手に警察に通報するようお願いし、パトカーが4・5台到着した。犯人の顔を覚えているなら、乗客の顔を見ろと言われたけれど、夜だし、相手は黒人だったし、蹴られる直前に顔なんか見ていない。そういう意味で、顔を見ても無駄だったのだが、とにかく見ろと強く言われたので、警察につき合う意味で、乗客の顔を一人ひとり見た。わからないのも当然だった。そもそも顔を覚えていないのだから。その後、私は、パトカーに乗せてもらって、ダウンタウンに帰るつもりだったのだが、そのときの警察の対応が忘れられない。そのまま何もなしに、帰ろうとするのだ。ちょっと待ってくれと、私は、ダウンタウンまで送ってもらうことを主張した。すると、4・5台のパトカーどうしで、「おーい、ダウンタウンに帰る奴いるか」というような調子で、たまたま乗せてもらうことができたような感じだった。
 一台のパトカーに乗ろうとした際に、その警察官が私にしたことも、一生忘れないだろう。
 それは、私に手を上げさせ、頭上で両手を組ませ、私のボディチェックを始めたのだ。俺は被害者だぞと思いながら、私はあっけにとられていた。自分のことは自分で守るという当然の危機管理は、今でこそ、私も学んだけれど、その当時の私は安全な日本から来た若者だった。これがアメリカ合州国なんだと思った。
 生まれて初めて乗るパトカー。後部座席と運転手との間には、透明だが頑丈そうな仕切りが通気孔をずらすかたちで多重構造になって張ってあった。後ろから、攻撃できないような構造になっていた。
 運転してくれた警察官は、「日本からだって、日本の警察官はタフだよな。俺の友達が日本に行ったことがあって、俺も日本に行って、英語でも教えようかなと思っているんだ」と陽気に話していたが、私はしらけっぱなしだった。
 もうひとつ思い出すのは、ニュージーランドで、車を運転していたときにホストファミリーから受けた忠告だ。
 それは、一人で運転しているときは、一人のヒッチハイカーを乗せてはいけないということだった。1対1では、インネンをつけられたり被害にあった場合、言い合いになり、証明できないということだ。
 大学教授が、異性の学生を自分の部屋に入れる場合、1対1の密室にはしないということは、すでに日本でも常識だろう。校長先生でも小学生の児童にはスキンシップをしないなども、段々と常識になるのだろう。
 私の高校時代、学内の盗難なんて考えられなかったが、いまは、指導せず放置したら、盗難が蔓延してしまうに違いない。
 27年くらい前にニューヨークに行ったとき、泥棒が多いニューヨークでモノを取られたら、取られた奴が間抜けだという話をたくさん聞いた。だって、取られることがわかっているんだからという論理だ。ニューヨークに上っていく間に、これからニューヨークに行くと言った私に対して、「俺は一生ニューヨークになんか行かないだろう」と言っていたアメリカ人にたくさん会った。それも驚いたが、取られる奴が間抜けだという論理にも驚いた。
 30年近く経って、皮肉をこめて言えば、日本も「国際化」したということなのだろう。
 安全がただだった日本。その安全神話はとうに崩れ始めている。