自分のことはなかなかわからないものです

 最近、ちょいと忙しくて、この「誰も読まないブログ」を更新している暇もない。
 まぁ、「誰も読まないブログ」なんで、更新などしなくても構わないのであるけれど、知人から最近更新してないねというメールもいただいたので、暇を見つけて更新していこうと思う。
 さて、世間は世界同時株安や、アメリカ大統領選挙などの話題で持ちきりだが、久しぶりの更新は、それとは全く関係のない話題。
 たまたまテレビをつけてたら、名越康文さんという精神科医の方が人間の性格分析をやっていた。
 かなりの売れっ子らしく、面白そうな方だったが、私は全く存じ上げなかった。
 それで番組の中で簡単な性格分析テストをやるというので、自分の性格分析なるものを私もやってみた。
 精神科医名越康文さんに言わせると、人間には、「論理型」「情緒型」「行動型」「闘争型」「職人型」というのが、あるそうだ。私はこれを、心理学でいう気質というように理解したが、この人間のタイプの引用は名越さんの話を聞いたのちに自分の記憶で書いているから、正確ではないかもしれないが、そんなことを話されていた。
 それで、人間というものは、人間形成期を経ると、こうした性格はなかなか変えられない。また、案外、自分の自我というのか、自分の本当の姿というものは、隠されていて、案外自分ではわからないものだというような話をされていた。
 たとえば、「論理的」と思われる人でも、自我の性格のコアの部分を分析してみると、案外そうでもないことがある。「論理的」にみえるのは、ある種の訓練や演技・演出でもって、「論理的」に装っていることがあり、自我のコアの部分は、案外そうでもないというような話だった。
 それで、先ほど書いたように、私もこのテストをやってみたのだが、どうやら私の性格で強いのは、「職人型」のようで、次に強いのが、「情緒型」だった。
 この結果についてだが、結構わたしは気に入っている。
 「職人型」というのは、ひとつのことに寝食を惜しんでやることができるパーソナリティで、ゲームなどをやり始めると気がつけば朝というような話を名越さんが話していた。
 残念ながら子ども時代と違って今ゲームなど私はやっている暇もないけれど、子どもの頃は、たとえばピンボールマシーンでウィザードといってよいほどの腕前だったし、子どもの頃はボーリングなども好きになると、ずっとやり続けるのが苦ではない。いわゆるはまりやすい体質であり、凝り性なんですね。子どもの頃は大嫌いだった作文も、実はいまは大好きで、文章を書いていれば、時間を忘れて書いている。旅行計画などもそうで、ひとつのことに夢中になると、時間を忘れて集中できる。
 考えてみると、逆にいえば、この集中しているかけがえのない時間を妨げられると、とても不機嫌になる。おそらく、今の自分は、自分の好きなものに、はまって寝食を忘れて打ち込みたいのに、公私ともに多忙だから、やれない不満が自分の心理の根底に蓄積されているような気がする。本当は、フライフィッシングなんかに入れ込んで、集中的にやってみたいのだが、いまの私には絶望的だ。
 ということで、自分の性格分析で、「職人」気質というのに、私は膝をうった。
 あと、「情緒型」というのは、ようするに、子どもっぽい人と名越さんが話されていたが、これも幾分か当てはまる。
 生育暦でいうと、わたしは、生真面目な母と、極楽トンボの父と、そのどちらの血も受け継いでいるんだと最近深く気づいたのだが、現在のわたしの仕事が高校教師だし、また実際に高校教師には理屈っぽい者が多いから、世間的にいえば、わたしなどは「論理型」になると思うし、そう見られているようにも思う。また、気質はそうでもないのに、結構行動派にさせられてきたし、本性はそうでもないのに、ときに闘争的な面もないわけでもない。人間は、仕事上の訓練や経験によって、あるいは、演技・演出によって、いろんなことをするものだし、複雑怪奇ということになるのだろうけど、パーソナリティのコアな部分は、案外変わらないし、わからないものだという話は、ストンと理解できた。
 名越康文さんの本でも、今度読んでみることにしよう。