「戦後の出発点に立ち返って考える時期」

amamu2012-05-02

 今日の朝日新聞「オピニオン」欄で、憲法学者樋口陽一さんが『国民が権力を縛る 明治からつながる日本の「持ち物」』と題する意見が載っていた。
 タイトルは詰まり過ぎていて少しわかりにくいが、「大震災、そして原発事故という大きな試練と合わせ、一度、戦後の出発点に立ち返って考える時期だと思います。私自身は、まだ答えは見つかっていません」との情勢認識には共感する他ない。一読して大いに考えさせられる深い意見だった。
 自称「戦時世代」の樋口陽一さんは、1945年、仙台市内の国民学校の5年生で、「当時の学校は兵営みたいで暗く、貧しかった」という。先生から「副小隊長を命ず」という辞令が渡されていたが、「夏休みが終わって2学期になったら、役の名前が学級委員に変わ」り、「学校も急に民主化された」という思い出を語られている。
 「戦時世代」の樋口さんの観察で興味深かったことのひとつは、「戦前の日本がすべて真っ暗な時代だったというわけではありません」という意見だ。

 45年7月に米・英・中の3カ国が日本に降伏を求めたポツダム宣言に、こんな文言があります。「日本国政府は日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障碍を除去すべし」。戦前の日本には民主主義があったことを、ほかならぬポツダム宣言の起草者が認識していたわけです。

 日本国憲法を押しつけだと非難する人たちがいるが、「それは違う」と樋口さんが反論する、その理由の指摘が重要だと思う。

 

この憲法の価値観は、幕末以来の日本の近代と無縁ではありません。先ほどあげた自由民権運動大正デモクラシーといった、幕末・明治以来の日本社会の「持ち物」とつながっています。むしろ35年〜45年の国粋主義全体主義の時期こそ、幕末からの流れと異なるものだった。ポツダム宣言軍国主義に染まる前の日本の民主主義を「復活強化」せよといい、日本政府はそれに調印したわけです。

 「あたらしい憲法のはなし」が配られたとき、『少し上の先輩は「基本的人権」という文字を見て、そんな言葉があるのかと身震いした』という。
 こうした幕末からの流れ、戦前・戦後の違いなど、歴史の大きな流れの中で基本的なことをおさえることが重要だろう。

 

 日本国憲法が想定している人間像とは、一人ひとりが自分自身の主人公であり、主人待ちではいけない、というものです。誰かがではなく、自分で自分のことを決める。作家の井上ひさしさんは、人間にも砥石が必要だ、と言いました。砥石で自分を磨いて、立ち位置や居住まいを正す。それが憲法の言う人間像であり、人権の基本です。
 よく、人権というと、甘いとか、きれいごとだと受け止める人たちがいますが、実際は逆です。誰かが決めてくれた方が、ずっと楽ですから。その誘惑は常にあります。

 このあと、『「自分でも決めてはいけないこと」もあります。しかもそれが何かは、自分で決めないといけません』と禅問答のような切り口をまくらにして、国民主権について、ドイツ憲法を例にして語られる。ヒトラーナチスの苦い歴史的教訓から、「だから今度こそ、人間の尊厳を冒すようなことは決めてはいけない、たとえ主権者たる国民の多数を占めても、決めてはいけないことがある。憲法でそう定めたわけです」と、いわばゼロか100の浅い安易な議論ではなく、価値観や優先順位を考えつつ思考するということなのだろう。こうしたドイツ憲法の成り立ちは、抽象的憲法原理から言っているわけではないという指摘は実に重要に思う。

 事実から学ぶ、経験・体験から学ぶ、歴史から学ぶ。多様な対立・矛盾の中から顕在化する現実認識が大切だ。

 樋口さんは、自分たちで新しい憲法を書きたいという若い人達がいることは「健全な考え方」であると一定評価したうえで、その際に、「日本の近現代史、さらには世界史まで視野を広げてほしい」「少なくとも幕末まではさかのぼって、自分たちの社会を作ってきた先人たちが何を考え、どういう犠牲を払って何を達成し、何を達成できなかったのか」「過去の蓄積の上に現在があることを忘れない」ようにと指摘している。こうした指摘を軽視することはできないだろう。

 「近代国会における憲法とは、国民が権力の側を縛るもの」「権力の側が国民に行動や価値観を指示するもの」ではない、「憲法にもっと国民の義務を書き込むべきだ、などというのはお門違いです」という指摘は憲法観の基本認識として重要だろう。