憲法記念日の今日、朝日新聞に「米法学者ら188カ国を分析」「最古の米国 時代遅れに」という記事が載っていた(ワシントン、立野純二記者)。
その記事によると、「分析したのは、ワシントン大学(米ミズーリ州)のデービッド・ロー教授と、バージニア大学のミラ・バースティーグ准教授」。
「時代とともに新しい人権の概念が生まれ、明文化された流れが読める」として、次のようにある。
たとえば、女性の権利をうたった憲法は1946年は世界の35%だけだったのが06年は91%に、移動の自由も50%から88%に達した。最近では、お年寄りの権利も上昇中だ。
記事によれば、アメリカ合州国の憲法は、「長らく民主憲法の代表モデルとされてきた」18世紀に定めた「世界最古の成文憲法」だが、「この研究の結果、特に1980年代以降、世界の流れから取り残される『孤立』傾向が確認された」という。
(米国の憲法では)女性の権利や移動の自由のほか、教育や労働組合の権利など、今では世界の7割以上が盛る基本的な権利がいまだに明文化されていない。一方で、武装する権利*1という世界の2%しかない『絶滅』寸前の条文を大切に守り続けている。
昨年春、最高裁判事のギンズバーグ氏がエジプト訪問の際、地元テレビで「今から憲法を創設する時、私なら米国の憲法は参考にしない」と「憲法の番人である最高裁判事自らが時代遅れを認めた発言として注目された」というニュースも紹介している。
米国に代わって最先端の規範として頻繁に引用されるのは、82年に権利章典を定めたカナダや、ドイツ、南アフリカ、インド。政治や人権の変化に伴い改廃を加えてきた国々だ。
また、日本の九条に似た例として、次のように紹介している。
(日本の九条と)一部でも似た条文をもった国は、ドイツのほか、コスタリカ、クウェート、アゼルバイジャン、バングラデシュ、ハンガリーなどけっこう例がある。
世界から見ると、日本の最大の特徴は、改正されず手つかずで生き続けた長さだ。(中略)
だからといって内容が古びているわけではない。むしろ逆で、世界でいま主流になった人権の上位19項目までをすべて満たす先進ぶり。人気項目を網羅的に備えた標準モデルとしては、カナダさえも上回る。バスティーグ氏は「65年も前に画期的な人権の先取りをした、とてもユニークな憲法といえる」と話す。
デービッド・ロー教授の「日本の憲法が変わらずにきた最大の理由は、国民の自主的な支持が強固だったから」という意見も象的だ。
これは上記朝日新聞の記事と少し離れるが、アメリカ合州国の独立宣言は、市民革命としての意義があり、革命権を承認したという意味で歴史的意義が高い。
先の記事の権利ランキングの「権利の種類」では、以下のような順位になっていた。
- 信教の自由
- 報道・表現の自由
- 平等の保障
- 私有財産権
- プライバシー権
- 不当逮捕・拘束の禁止
- 集会の権利
- 団結権
- 女性の権利
- 移動の自由
- 裁判を受ける権利
- 拷問の禁止
- 投票権
- 労働権
- 教育の権利
- 違憲立法審査権
- 遡及処罰の禁止
- 身体的権利
- 生活権
- 推定無罪
これら「権利の種類」の順位は体系的な理論的整理というよりも、188国の憲法に盛られている人気度の高さからの実証的整理なのだろう。
基本的人権の体系という観点でいえば、何よりも「生きる権利」(生存権)の優先順位が高くなければならない。また労働権や教育権が、生存権の保障のために重要なことも言うまでもない。
私自身、法学を専門的に学んだことはないが、これら基本的人権の体系ということで深く納得がいったのは、学生時代に読んだ「ベトナムと人類解放の思想」などの労作で展開されていた故芝田進午さんの「生きる権利」と基本的人権の体系の論であった。
市民革命期の「独立宣言」の意義。と同時に、その歴史的限界。たとえば、人権といっても、女性の権利・アフリカンアメリカン(黒人)の権利・ファーストアメリカン(ネイティブアメリカン)の権利が除外視されていた限界は明らかだ。それでも生存権と革命権を高らかに謳ったアメリカ独立宣言の意義は色あせてはいない。
そうした思想的系譜をきちんと学ぶ必要があるだろう。