新藤兼人監督、亡くなる

一枚のハガキ

 映画監督の新藤兼人さんが亡くなった。
 29日の午前のことで、新藤さんは100歳だった。
 新藤兼人監督の作品をリアルタイムで私はほとんど観ていない。
 朝日新聞で紹介されている作品一覧に以下のようにある。
 

  • 愛妻物語(1951)
  • 原爆の子(1952)
  • 第五福竜丸(1959)
  • 裸の島(1960)
  • 母(1963)
  • 鬼婆(1964)
  • 裸の十九才(1970)
  • ある映画監督の生涯 溝口健二の記録(1975)
  • 竹山ひとり旅(1977)
  • 北斎漫画(1981)
  • さくら隊散る(1988)
  • 濹東綺譚(1992)
  • 午後の遺言状(1995)
  • 生きたい(1999)
  • 三文役者(2000)
  • ふくろう(2003)
  • 石内尋常高等小学校 花は散れども(2008)
  • 一枚のハガキ(2011)

 この中で私がリアルタイムで観たものは、「竹山ひとり旅」と「一枚のハガキ」くらいだ。
 このブログでも紹介した「陸に上がった軍艦」(2007)は劇場でリアルタイムで観たが、なぜ、朝日新聞新藤兼人作品の一覧に「陸に上がった軍艦」がないのだろうか*1
 あと私が観たものは「原爆の子」「第五福竜丸」「裸の島」「裸の十九才」「午後の遺言状」くらいだが、これらはレンタルで借りて観た。
 あと学生時代に自主上映的な映画館で「鬼婆」を観た記憶がある。
 新藤兼人監督の作品は、生の根源を描く印象があり、おどろおどろしい描写や性的描写も多少含まれ、その点だけでいえば私の好むところではない。これは全く芸風の問題であって、生の根源を描こうとする限り、性の問題にも触れざるをえないのは当たり前のことなのだが、若い時分から生理的についていけなかっただけの話である*2
 でも、そうした中にも新藤兼人さんの作品にはユーモアもある。
 昨年福島第一原発事故が起こり日々憂鬱な気持ちの中で観た「一枚のハガキ」も、不条理の中で生きざるをえない人間の悲しさ、男の滑稽さと悲しさ、そして女の悲しさと、まさに生の根源を描いていた。
 「一枚のハガキ」を見て痛切に思ったことは、「人間の権利」であり、憲法第24条の「家族生活における個人の尊厳と両性の平等である。

 第24条 家族生活における個人の尊厳と両性の平等
 1 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。


 朝日新聞山田洋次監督の談話も紹介されていた。
 

山田洋次監督の話
 仰ぎ見るような先輩でした。ヒットするとかしないとかまったく考えないで、地をはうようにして映画を製作する。でも、経済的には苦労されたのではないか。僕なんか想像できないような苦しい思いをたくさんしてきたのではないか。肉声がスクリーンから聞こえてくるような作品でしたね。

 新藤兼人さんは自身の戦争体験から自分の仕事を明確に自覚されていた。だからこそ、揺るがずに仕事をしてこられたのだろう。
 映画は配給の問題もある。新藤兼人監督の作品がいつでも見ることができないようでは、私たちの文化水準が問われていると言っても過言ではないだろう。

*1:「陸に上がった軍艦」がリストにあげられていない理由は、新藤兼人監督作品ではなく、脚本・出演だからということとが理由である。監督は山本保博監督。ちなみに新藤兼人監督作品は49作品と言われているようだ。いずれにしても、全作品のリスト化ではない。

*2:そうした意味では、新藤兼人さんの作品では何といっても「裸の島」が私の好みである。