朝日新聞の本日の夕刊のコラム「人・脈・記」に、言語の比較研究で興味深い話が載っていた。
残念ながら私は手にしたことはないのだが、「世界の言語と日本語」(1991年)*1の著者・角田太作さんは、東大大学院生であった1971年にオーストラリアのモナッシュ大学大学院へ留学。ワロゴ語の最後の話者からワロゴ語を学びつつ記録された。2002年、東大教授になっていた角田さんはワロゴ語を教えに、今でも機会を見つけてはオーストラリアに行っているという。
少数民族の言語を学び、さまざまな言語の比較て研究に進み、「世界の言語と日本語」を1991年に出す。「世界130言語と比べて『日本語は特殊な言語ではない』と結論づけている」点が、興味深い*2。
少し「人・脈・記」から引用する。
例えば、「私は本を読む」のように主語・目的語・動詞の順になっているのは57言語。「I read a book」のように主語・動詞・目的語の順は51言語とほぼ同じだった。しかし、疑問文で動詞と主語を倒置するのは英、独、仏語など11言語だけ。変わっているのは英語の方だった。
日本語には言語として珍しい特徴は何もないという。それなのに日本語は特殊だとよく言われる。角田によると、明治維新で欧米の文化や言語が入り、日本語だけは違うという意識が生まれた。「西洋を標準とみて、世界の他の言語とは比べなかった。日本語特殊説は、自分たちは特別という民族中心主義です」
上記の「西洋を標準とみて、世界の他の言語とは比べなかった」という指摘はきわめて重要である。というのも、明治維新は、西洋を基準として自分たちの文化を評価し、ときに猿まね、ときに植民地根性から、自主的に自分の頭でものを考え判断することを放棄したことが少なからずあったのではないかと思えるからである。今日そうした傾向は克服されず、継続しているのではないかと思えてならないからである。
自分たちの尺度を相対化するためにも、角田さんの「世界の言語と日本語」を読まねばなるまい。