朝日新聞で「砂上の原発 地震列島に57基」というシリーズが始まった。6月28日付の記事は、その第1回目の記事。タイトルは、「津波軽視のまま3・11」。
冒頭に、「東日本大震災で東京電力福島第一原発事故が起きる20年以上前、原発が想定外の津波で被害を受ける可能性を指摘する論文が専門誌に載った」とある。
その筆者は、「津波工学が専門の首藤伸夫東北大名誉教授(77)」。
こうした専門家の指摘は、数々あったと聞いている。
問題は、そうした意見がどのように扱われたのかである。
先の記事は、首藤氏の心情に触れて、以下のように続く。
計算で津波の上限ははっきり決められない。想定外の津波で、電気系統や取水に影響する可能性を指摘し、過去の例が無くても対策を講じるよう求めた。
研究の限界と対策の必要性を率直に書いただけだった。
ところが、「電力会社で『危険人物』と思われていると知人から聞いた」という。
「率直に」「対策の必要性」を述べただけなのに、「危険人物」とみなされる…。
これは一体全体何なのか。
異論があっても、議論もせず、異端視扱いするということは何なのだろう。
議論ができない、民主主義がない、学問研究の成果を無視する、科学性の欠如というようなレベルではなく、こうした専門家の意見を無視するというのは、人間無視ということではないのだろうか。
そうした人権侵害は、生命軽視・無視の考え方(人権侵害)と対になっていると言わざるをえない。
こうした人権侵害という問題が、日本の問題そのものなのだろう。