木下惠介生誕100年企画

二十四の瞳

 木下惠介監督は1912年12月、浜松市の生まれ。今年生誕100年を迎え、松竹が木下惠介100年プロジェクトを企画していることを、朝日新聞の広告特集で知った。


http://www.shochiku.co.jp/kinoshita/content/project.html


 それで「今、甦る木下惠介の魅力」と題する山田洋次監督と山田太一さんの対談を、たいへん興味深く読んだ。
 全文引用したいが著作権の問題でそうもいかないけれど、次のやりとりなんかいいと思う。

山田洋次: 『二十四の瞳』の頃って、日本人は泣きたかったんじゃないのかな。戦後の5年間ぐらいは食うや食わずでようやく生きてきたけど、敗戦から10年近く経って、戦争を振り返って「あの時代はひどかったね」と語り合う余裕が出てきた。だから、『二十四の瞳』の映画館は、劇場そのものが泣いていたような気がしたもの。


山田太一: 戦争もそうですが、一人の力でどうなるものでもない場合、泣くしかない時がありますね。戦後のある時期まで、日本人は涙の切実さ、救いを分かり合えていたと思うんです。それが、いつからか「泣かない」ことが讃えられるようになる。泣くのは情けないというか、泣くよりも「努力して頑張ろう」という風になる。


山田洋次: そういえば、木下さんの作品は「頑張ろう」なんて言いませんね。まず、一緒に泣く。「つらかったんだろうね」と一緒に泣く。そのことで、ほんの少し元気になる。


 5年前くらいに、私は次のように考えて、自分のブログにも書き、木下惠介監督の作品を見始めた。

 それと、より大きな理由としては、昨今の日本の政治状況を見る中で、日本人という民族はこれほど忘れやすい民族だったのか、これほど薄っぺらい民族だったのかという暗澹たる気持ちにさせられ、私をして、戦後の原点ともいえる古典的映画に向かわせているのだが、山田洋次監督や黒澤明監督とともに、遅ればせながら、木下監督の作品が素晴らしいと発見できたことが、なんといっても大きな収穫だった。
 それで、木下恵介監督について興味を覚え、まず長部日出雄さんの「天才監督木下恵介」を読んでみた。かなり分厚い本だが、大変面白く読んだ。


 それで木下惠介監督の作品でいったら、なんといっても「二十四の瞳」が、私のお気に入りだ。「二十四の瞳」は、私たちが誇れる古典になっている。
 ところで、木下惠介監督の作品をたくさん見ているかといったら、ほとんど見ることができていない。
 対談中で話題になっている「風花」「春の夢」「日本の悲劇」「お嬢さん乾杯」「夕やけ雲」など、全く観ていない。
 レンタルビデオ屋さんに置いてあることも、ほとんどない。
 木下惠介生誕100年企画を契機に、多くの木下惠介監督の作品を観てみたいものだ。