「尤も不愉快の二年なり」「漱石で考えるグローバリズム」

amamu2014-09-10

 2日前の朝日新聞だが、「漱石で考えるグローバリズム」という記事が載っていた。
 漱石の英国留学は、「1900年、熊本の英語教師だった33歳の夏目金之助は文部省から英語・英文学研究のため英国留学を命じられ、約50日間の船旅の末、同年10月にロンドン着。02年12月まで2年間過ごした」わけだが、その2年間をロンドンのどこで過ごしたのか、5つのホテルや下宿先を記事は紹介している。

  1. ガワ―ストリート78番地のホテル
  2. プライオリーロード85番地(下宿)
  3. フロッデンロード6番地(下宿) ※2か月後から
  4. ステラロード5番地(下宿)
  5. チェイス8番地(下宿) ※1年半過ごす

 与えられた国費は年1800円。かなりの額だったが、大半を本の購入に充てたため生活費は逼迫。到着2カ月後に家賃の安いテムズ川以南に移った。
 中でも最南端にあるのが「ステラロード5番地」の4番目の下宿だ。3番目の下宿の主人が事業に失敗し、一家と共に都落ちをするように移り住んだ。場末感漂う辺りの雰囲気に、日記では「聞しに劣るいやな処でいやな家なり」。当時は貧困労働層がクラス地域だった。

 この留学を「尤も不愉快の二年なり」と「文学論」の中で述べた漱石は、近代文明の繁栄の行く末を、ひいては日本の行く末も含めて、批判的に悲観的に見ていたのだろう。