「今年は「ギャグ漫画の王様」と言われた赤塚不二夫さんの生誕80周年」だそうだ。
朝日新聞のこの記事のランキングによると1位から3位までは以下のとおり。
- 天才バカボン(1967年、少年マガジンで連載開始)
- おそ松くん(1962年、少年サンデーで始まった初の週刊誌連載作品)
- ひみつのアッコちゃん(1962年、りぼんで連載開始)
俺が小学生のころ、定期的に兄貴がマガジンを買い、俺がサンデーを買っていたから、俺のまわりには普通に「おそ松くん」がいた。
小学生なりに気持ちが縮こんだり、解放されなかったことがあったと思うが、当時は全く意識していなかったが、そんな気持ちを確実に解放してくれたのが赤塚不二夫さんのマンガだったと思う。
俺のおふくろは生活に精一杯でそんな暇もなかったし、俺のまわりにはそんな母親はいなかったと思うが、当時のうるさいママさんたちには、漫画もエレキギターも、不良のものという考え方が社会現象としてあったように思う。子どもの頃から、そうした不自由で窮屈な考え方に俺は違和感があったが、今でもそう思う。
そうしたママさんたちの窮屈で不自由な考え方・感じ方こそ、赤塚不二夫のギャグ漫画が笑い飛ばす対象であったろうと思うのだ。
それでつくづく思うのだが、手塚治虫さんやちばてつやさんはもちろん、赤塚不二夫さんのナンセンスなギャグ漫画にだって、否、ギャグ漫画にこそ、当時の子どもたちは確実に守られていた。
それは、ナンセンスのふざけたギャグ漫画だが、個性の尊重、個人の尊重、自由の尊重という、しっかりとした思想的バックボーンがあったからだろう。
赤塚不二夫さんの戦後の憲法に寄せた思いが、そのことを証明している。
そうした戦後民主主義の影響を、漫画というメディアを通じてでも、当時の子どもたちは、教育されていた、学んでいたと言えるだろう。
以下、読者の感想から。
ナンセンスなのに、温かみがあり、つい笑ってしまう。キャラクターも個性的で、へんてこりん。変わっていても生きていけることを、自然に教えてもらえた。(大の赤塚ファンの滋賀の58歳女性)
庶民派というか、反権力・反知性派のところが小気味よい。(神奈川、76歳男性)
バカボンのパパが、世間で常識とされることを常識として受け入れないことが新鮮。『なぜダメなのだ』と常識を疑う姿勢は、いつの時代にも有効だと思う。そのパパを愛し続けたママは偉大。(東京、46歳女性)
優柔不断でいつも悩んでいた私にとって、『これでいいのだ!』は、つぶやくとなぜか気が楽になる魔法の言葉です。(埼玉、45歳男性)
「最後に、本人が残した言葉から」。
バカっていうのは、自分がハダカになることなんだよ。世の中のいろんな常識を無視して、純粋な自分だけのものの見方や生き方を押し通すことなんだよ。だから、バカだからこそ語れる真実っていっぱいあるんだ。
なるほど!