「(インタビュー)イラク派遣のストレス 元自衛隊中央病院精神科部長・福間詳さん」

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 朝日新聞デジタル版(2015年7月17日05時00分)から。

  自衛隊にとって、過去に「最も戦場に近い」とされたのが、イラクサマワでの人道復興支援活動だった。当時、サマワの宿営地に出向き、約3千人の心理調査に当たった精神科医がいる。「非戦闘地域」でのストレスとはどんなものだったのか。帰国後、隊員たちにどんな症状が現れたのか。知られざる実態について口を開いた。


 ――2004年から06年にかけてイラクに派遣された陸上自衛隊員のうち、21人が在職中に自殺したことが明らかになっています。

 「派遣された約5480人は、精神的に健全であると確認したうえで選ばれた精鋭たちです。そのうち21人が自殺したというのは、かなり高い数字ですね」

 ――そのうち3人は「イラク派遣も原因」と、政府が初めて認めました。

 「因果関係について何を根拠に判断したのでしょうか。自殺は氷山の一角で、イラク派遣の影響はもっと深刻なのではないかと私は考えています」

 ――なぜ、そう思うのですか。

 「当時、勤務していた自衛隊中央病院に、帰国後、調子を崩した隊員が何人も診察を受けにきました。不眠のほか、イライラや集中できない、フラッシュバックなど症状はさまざまでした。イラクでは体力的に充実し、精神的にも張り詰めているためエネルギッシュに動いていたものの、帰国して普通のテンションに戻った時、ギャップの大きさから精神の均衡を崩してしまったのです。自殺に至らなくても、自殺未遂をしたり精神を病んだりした隊員は少なくないと思います」

 ――1次群から10次群まで、派遣期間はそれぞれ3〜4カ月。どんな状況だったのでしょう。

 「私は04年の1次群から6次群まで計6回、診療のためにサマワを訪れました。1週間ほどの滞在中、全隊員に簡易心理テストをしてストレス度を測り、気になる隊員には個別にカウンセリングをしました。初期には、全体の3割が『ハイリスク』(過緊張状態)という部隊もありました」

 ――サマワは「非戦闘地域」とされていましたが、どんな環境だったのですか。

 「宿営地は一辺750メートルの正方形で、周囲を壕(ごう)と有刺鉄線に囲まれていました。正門につながる道路にはコンクリートの防護壁が並び、周辺では地雷や不発弾も見つかっています。日差しが強く、テントの中に入ると明暗差から周囲が見えなくなるほど。夏は気温60度、パソコンが突然シャットダウンしたり、水道をひねると熱湯が出たり。生活環境が過酷なうえ、攻撃を受ける可能性もあり、緊張度は高かったですね」

 ――2年あまりの派遣期間中、宿営地には迫撃砲弾などが13回撃ち込まれ、コンテナを貫通したこともありました。

 「私の滞在中にも着弾し、轟音(ごうおん)とともに地面に直径2メートルほどの穴があきました。直後に、警備についていた隊員から聞き取りをしました。『発射したと思われる場所はすぐ近くに見えた。恐怖心を覚えた』『そこに誰かいるようだと言われ、緊張と恐怖を覚えた』。暗くなると恐怖がぶり返すと訴える隊員は、急性ストレス障害と診断しました」

 「夜間に望櫓(ぼうろ)に立つのは、おもに警備中隊以外の隊員です。銃の取り扱いに慣れていない彼らが恐怖から発砲したり、逆にテロに襲われたりした場合、多くの隊員が連鎖的にパニックに陥る可能性はあったと思います」

     ■     ■

 ――同じサマワにいたオランダ軍には死者も出ました。バグダッド周辺では断続的なテロが続く時期もありました。

 「アメリカで社会問題になっているイラク帰還兵の心的外傷後ストレス障害(PTSD)はコンバット(戦闘)ストレスとも呼ばれ、目の前で敵を殺したり、味方が殺されたりしたときに起きます。惨事を経験したショックによる『高強度ストレス』です。一方、自衛隊員が直面したのはおもに人間関係や仕事の単調さなどによる『低強度ストレス』で、質的に全く違います。極論すれば、日常のストレスと変わらないものでした」

 ――戦争が行われていたイラクでのストレスが日本と変わらない、とはどういうことですか。

 「たとえば、上官が意見を聞いてくれないなど、人間関係のこじれ。あるいは、警備担当なら『仕事の成果が形に残らない』、給食担当は『仕事が単調で達成感が得られにくい』といった訴えがありました。宿営地設営に追われた初期には、休みが取れないこともストレスでした。自分を否定的にとらえ、『逃げ出してしまいたい』『銃で自分を撃とうと考えた』と打ち明ける隊員もいました」

 ――ストレスは危険を感じていたからではなく、職場環境によるものだった、と。

 「そうですね。多忙な、あるいは単調な任務、職務の変更、環境の激変、対人関係といったストレスが凝縮されていました。一部の緊迫した場面をのぞけば、情報不足、裁量権のなさ、不適切な評価といった要因からストレスをためこんでいたのです」

 ――メンタルケアは海外派遣に特有のものだったのですか。

 「宿営地での個別カウンセリングのほか、任務を終えて帰国する前に『クールダウン』という試みもしました。イラクと接するクウェートのホテルに2〜3泊して、派遣勤務について互いに語り合ったり、買い物や散歩に出たりしてもらいました。精神的な落ち着きを取り戻させるためです」

 ――にもかかわらず帰国後、隊員たちに精神的な不調が相次いだんですね。

 「あの状況下でストレスをためこむのは自然なことです。ただ、過緊張が長く続くと、正常な脳はダメージを受けやすい。だからといって急に休ませてはいけない。いわゆる『荷下ろし』によって気が抜けると、ストレスは悪化するのです。帰国後、1カ月の休暇を与えた部隊もありました。でも、ゴロゴロダラダラは逆効果。休養ではなく、リポート作成などリハビリが必要なのです」

 ――自殺を防げなかったのはなぜだと思いますか。

 「帰国から1カ月後にストレステストをして、注意が必要な隊員については全国5カ所の自衛隊病院でフォローもしていた。ただ、サマワでの任務の影響は想像を超えるものでした」

 「また、原隊に戻ると、通常任務を続けていた隊員との間に齟齬(そご)が生まれたり、1日2万4千円の危険手当へのやっかみなどからいじめられたり。サマワでの経験を生かすどころか、それが足かせになって追い込まれるケースもあったと聞きます。私はイラク派遣が終了した5カ月後に退官したため正確にはわかりませんが、未解明なことが多すぎます」

     ■     ■

 ――安全保障法制が変われば、今後、海外派遣が増える可能性があります。

 「現在、自殺との因果関係を元に『公務災害』と認定されれば、約1億円の補償金が遺族に支払われます。今後、対象者が増える可能性があり、公金が使われるだけに、判定委員会といった組織を設け、統一した基準に沿って判断するシステムをつくることが重要ではないでしょうか」

 ――海外派遣とストレスの問題が今後、クローズアップされてくるように思います。

 「なぜその任務につく必要があるのか。隊員たちが誇りをもって活動できるかは、国民のコンセンサスにも左右されます。ただ死者がでれば、世論は一変するでしょう。そうなれば、ベトナム帰還兵が社会から疎外されて精神を病んだのと似た事態が起きないとも限りません。社会の理解が不可欠です。アメリカでは、アフガニスタンイラクから帰還した後の自殺者が戦死者を上回っています」

 ――自衛隊メンタルヘルスケアの課題をどう考えますか。

 「最近は、幹部向けの課程に惨事ストレスセミナーなども採り入れているようですが、より重要なのは帰国後のケアです。隊員の精神状態は一様でないため、個別に時間を追って対応する必要がある。しかも任務が過酷になるほど重要性は増します。派遣前にはみっちりと訓練を積みますが、任務を終えた後のフォローアップには改善の余地がありそうです。イラク派遣隊員のメンタルへの影響を分析して、教訓を次に生かしてほしいものです」

 (聞き手・諸永裕司、谷田邦一)

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 ふくましょう 1957年生まれ。元陸自1佐。防衛医大卒。85年から自衛隊中央病院(東京)などに勤務し、06年に退職。現在、メンタルクリニック経営。


 ■取材を終えて

 衆院を通過した安保関連法案が成立し、自衛隊の担う「後方支援」という名の兵站(へいたん)活動が拡大すれば、隊員の死の危険やストレスが高まる可能性がある。「非戦闘地域」とされたイラクサマワでの人道支援でさえ、帰国後に陸自の21人が自殺した。任務を離れても「戦争」は終わらないのだ。そのイラク戦争について、政府は総括していない。まして、命がけとなる紛争現場に自衛隊員を送り出すのであれば、イラク派遣が隊員に与えた精神的な影響について調査・公表する責務があるだろう。

 (諸永裕司)