「特攻の無念、若者の心に生きる 元予科練生の投書、デモ参加者ら読み継ぐ」

amamu2015-08-21

 以下、朝日新聞デジタル版(2015年8月21日16時30分)から。
 

 特攻隊員を目指す予科練生だった86歳の男性が新聞に寄せた投書が今夏、SNSを通して広がり続けている。安保関連法案に反対の声を上げる若者の姿に特攻に散った仲間や自分を重ね、「オーイ、今こそ俺たちは生き返ったぞ」と呼びかけた文章だ。国会前デモや集会で読み継がれ、お守りのように持ち歩く学生もいる。

 京都市の加藤敦美(あつよし)さんは7月、新聞で偶然、国会前の「SEALDs(シールズ)」のデモを目にした。男子も女子もいる。色とりどりの服に身を包み、決まり文句でない自分の言葉を語っている。

 身体が熱くなり、涙が堰(せき)を切ったようにあふれる。原稿用紙を前に、5分もかからず書き上げた。「まるで、だれかが乗り移ったかのようだった」

 16歳で海軍飛行予科練習生になった。

 山口県防府市の通信学校で、特攻隊員の信号音を聞いた。「ピーーー」と長く続き、プツッと途切れる。それが、敵艦に突っ込む瞬間なのだと聞かされた。「何の感情もわかなかった」。自分の番もすぐ来る。それだけだった。

 心の底から笑ったことはなかった。恐怖と悔しさがつきまとった。死にたくない。生きていたい。愛してほしい。愛したい。

 特攻に行く前に終戦を迎えた。死に方だけを教わってきた身には、生きること自体がエゴのように思えてならない。学生運動に身を投じても、文学を志して小説を書いても、生き方が分からず、もがき続けた。

 そんな人生の終盤で、あのデモの光景に出会った。「まっさらな若者が、憲法9条そのものを生きている」。生きるということを教えてもらった気がした。

 うらやましい。憧れる。ありがとう。気持ちが、ほとばしり出た。「今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ」


 ■学生「ボロ泣きした」

 その思いは、学生たちの心にまっすぐに届いた。「朝からボロ泣きした。これほどSEALDsやってよかったと思うことはない」。一人がツイッターでつぶやくと、リツイートは8千以上に。各地の集会でも朗読された。

 8月14日のデモでは、明治学院大の奥田愛基さん(23)が「ここに来る前に毎回読む」と前置きして読み上げた。涙を流し、絞り出した。「戦後70年の歩みを、俺は諦めきれない」

 加藤さんは、妻と2人で、静かに暮らしている。携帯電話もファクスも持たず、SNSを使うこともない。だから、投書が学生たちに読み継がれているとは全く知らなかった。

 「若かった我々と、若い学生。涙で共鳴したのでしょう」

 耳を澄ますと、特攻隊員の「ピーーー」という信号音が聞こえてくる。「俺たちを忘れないでくれ、という叫びだったのではないか」(市川美亜子)


 【7月23日付 朝日新聞朝刊東京本社版「声」欄から】

 安全保障関連法案が衆院を通過し、耐えられない思いでいる。だが、学生さんたちが反対のデモを始めたと知った時、特攻隊を目指す元予科練(海軍飛行予科練習生)だった私は、うれしくて涙を流した。体の芯から燃える熱で、涙が湯になるようだった。

 オーイ、特攻で死んでいった先輩、同輩たち。「今こそ俺たちは生き返ったぞ」とむせび泣きしながら叫んだ。

 山口県防府の通信学校で、特攻機が敵艦に突っ込んでいく時の「突入信号音」を傍受し、何度も聞いた。先輩予科練の最後の叫び。人間魚雷の「回天」特攻隊員となった予科練もいた。私もいずれ死ぬ覚悟だった。

 死ねと命じられて爆弾もろとも敵艦に突っ込んでいった特攻隊員たち。人生には心からの笑いがあり、友情と恋があふれ咲いていることすら知らず、五体爆裂し肉片となって恨み死にした。16歳、18歳、20歳……。

 若かった我々が、生まれ変わってデモ隊となって立ち並んでいるように感じた。学生さんたちに心から感謝する。今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ。