「高校野球論 弱者のための勝負哲学」を読んだ

高校野球論

 野村勝克也氏の「高校野球論 弱者のための勝負哲学 (角川新書)」を面白く読んだ。
以下、印象に残った言葉をランダムにノートをとってみた。

 失敗と書いてせいちょう(成長)と読む(野村克也

 人間的成長なくして、技術的進歩なし(野村克也

 この言葉は、恩師の清水先生の言葉が元になっているという。

 まずは行いを正し、立派な人間になれ。そうすれば強くなる。
 野球の技術を磨く前に、人間を磨け。
                   (恩師の清水先生)

 私はプロセスを重視する。よい結果は、きちんとしたプロセスを経ることで生まれる。正しいプロセスを経ないで生まれた結果は、たとえよいものであっても偶然の産物にすぎない。しょせんは偽物であり、すぐにメッキがはがれてしまう。だからこそ、「一」の大切さを叩き込まなければならないのである(野村克也

 

(教える際に)大事なのは、…教えすぎないことである。事実、メジャーリーグには、「教えないコーチが名コーチ」という言葉がある。
 指導者というものは、とかく教えたがる。まして高校生が相手となれば、おそらく言うことを素直に聞くので、手取り足取り教えてしまう。
 だが、それでは選手がみずから考えようとしなくなる。人間というのは、失敗することで自分の間違いに気づく。気づく前に指摘されても、本当には理解できない。
 ……
 人は、与えられたものはそれほど大事にしないが、自分自身から求めようとして手に入れたものはずっと忘れずに大切にするものだ(野村克也

 

指導者がすべきことは、まずは選手をよく観察し、それぞれの性格やタイプを把握したうえで、彼らの中で自発的に問題意識が芽生えるようなアドバイスをすることだ。だから私はいつも言うのである。「監督業とは“気づかせ屋”である」と……。(野村克也

 

人間にとって、自分の存在を認めてもらえないこと、言い換えれば自分を必要とされないことほど、悲しいことはない。だから、人は自分の存在意義を求める(野村克也

 

ただし、言葉のかけ方は一様ではない。「人を見て法を説け」という言葉があるが、その選手の性格や心理状態、置かれた状況などによって、かけるべき言葉もタイミングも言い方も変えなければならない。そうしなければ、言葉は選手の心には届かない。
 では、適切な言葉を、適切なタイミングと言い方でかけるには、どうすればいいのか。
 徹底的に選手を観察することである(野村克也

 そのほか、「信は万物の素をなす」「組織はリーダーの力量以上には伸びない」「指導者自身がいつでも向上心を忘れず、進歩し、成長し続けることが、強いチームをつくる第一歩なのである」など、本書にはすばらしい言葉が満載で、本書は相当に面白い。
 とりわけ文章のリズム感がすばらしい。